korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

たまに行く場所は刺激が強すぎる

 曇り。

 

 だが暑い。日焼けもする。

 

 そういう季節になった。

 

 

 

 

 買い出しに行く。駅は大変な混雑だ。電車に乗る。

 

 降りて歩く。歩くと一人になれていい。

 

 と言おうと思ったら、すぐ後ろを若者が着いてくる。

 

 時々いる、何を考えているのかわからないフワッとした雰囲気の男子。

 

 こんなところを歩くなんて変わったやつだな、と自分のことを棚に上げて思う。

 

 

 ・・・こいつ宗教じゃないだろうな、と疑いの気持ちが起き、軽くフラッシュバックが来る。

 

 こうなってしまったら、もう、そんなわけないじゃん、なんて理屈は通用しない。

 

 まわりにいる人すべて怪しく見えてしまう。

 

 後から思い出すとまわりとは別の世界に行っている感じ。ホラーゲームか夢幻能のよう。

 

 とにかく必死で引き離す。走っても変なので、速足で歩く。これでも十分変だと思うけど。

 

 結果、通常なら1時間くらいかかる散歩ルートを40分くらいで歩き切った。疲れた。いろんな意味で。若者はいつの間にかいなくなっていた。

 

 店に入りうどんを食べたが味がほとんどわからなかった。ロボットのように機械的に口へ運ぶ。

 

 

 

 家族に頼まれていたものを探す。また無添加の食品を探す旅だ。

 

 デパートの地下で見つけた。・・・高い。半額のものがあったのでそちらを買う。賞味期限が近いためだ。

 

 「漬物なんてそうそう腐るわけないのにねえ」と店員のおばちゃんが言う。

 

 自分もそう思う。

 

 デパ地下の店員は基本的に下町のおばちゃんなので話しやすくて助かる。

 

 上のコスメのフロアにいる店員はどんな種類の人なんだろう。たぶん訓練された兵隊みたいな人たちなのではないか、と勝手に想像する。

 

 

 買い物が済んだのでついでに上の階をのぞく。家電量販店のフロアに行く。ファミコン世代なのでゲームのフロアを見る。

 

 ・・・SONYのPS5の在庫があるよ。デジタルエディションだけだけど。はじめて見た。発売されて2年以上たつのにまだまともに買えない状況が続いている。

 

 それどころかマイクロソフトXBOXの新製品まで在庫がある。こちらも手に入らないことで騒ぎになっていた。

 

 少しずつ、状況が改善されてきているのだな。

 

 

 老夫婦らしき男女がゲーム機を買おうとしている。孫へのプレゼントだろうか。

 

 ・・・もしもーし、あなたが買おうとしているのはPS5でなくて、XBOXですよ。そっちを買ったらパワプロとかデスストランディングとかFF7Rはできませんよ。

 

 あ、気づいたわ。よかった。それぞれの機種でできるゲームとできないゲームを数え上げてみて、改めて任天堂って独自路線を歩んでいるんだなあ、と思った。

 

 余計なことに気をまわしてさらに疲れる。

 

 

 本屋を見る。大変に混雑している。母親らしき女性が子どもと買った本をスマホで撮影している。

 

 最近はどこでもスマホで子どもを撮っている光景に出くわす。あんなに撮影していたら、子どもが成人になるころには、大量の画像が残るだろう。

 

 撮影したものはどうやって保管するのだろうか。クラウドにあげっぱなしか。それとも必要なものだけプリントするのか。クラウドだけならアカウントがなくなったらそれっきりだものな。

 

 いずれにしても知らない世界だ。 

 

 

 そんなことを思い、帰路につく。

 

 新しいものを見るのは疲れるけれどもなかなか楽しい。

世の中や世界と折り合いをつける

 曇り。

 

 今日は晴れて真夏日になる予報だった。

 

 最近の天気予報ははずすことが多くなったと思う。

 

 気象の変化が激しくなりすぎせいなのか、あるいは正確に出そうとしすぎ、はっきりとわかりやすい予報を出そうとしすぎた結果なのではないか。

 

 こうなればこうなる、だから絶対こうなる、と決めつけすぎ?

 

 わからないところまではっきりさせる必要はないのでは、と素人が思う。

 

 こうできる、とか、こうなる、とか、はっきりさせすぎたら、もう予報でなく予言だ。

 

 そんなことは不可能だし、そこまで期待していない。

 

 

 それとも、暑くなるからお前ら注意しろよ、ということを強調しすぎた結果だろうか。

 

 予報の正確性よりも、そうなったときにどんなトラブルが起きるか、それを予防する、という点を重視している? それにしても騒ぎすぎでは。

 

 

 

     夢を見た

 夜。うちの近く。

 

 銃を持った2人組に襲われる。

 

 こちらも銃で応戦する。いつもの夢のようにいくら撃ってもまったく効果がない。

 

 とにかく撃退する。相手は車で逃走する。

 

 自宅に帰る。とにかく逃げなければいけないと思う。

 

 うちを抜け出す。坂を上る。

 

 上った先にはコンビニがある。

 

 コンビニの駐車場はバスの倉庫になっているようだ。

 

 バスが出てくる。始発だろうか。中には運転手ともう一人従業員が乗っている。研修の指導教官か。

 

 バスは坂を下る。左に曲がらなければいけないところを、右の歩行者用の階段に突っ込んでいく。

 

 バスはガタガタと落ちていき、下の道路に頭から突っ込む。

 

 

 さらに進む。小学校時代の同級生のうちに来る。

 

 夜中なのに皆起きている。ここでも騒ぎがあったようだ。

 

 同級生の母親に通報するのでそばで聞いていてくれ、と頼む。

 

 携帯で通報する。なんとか今の窮状を伝えようとするがうまくいかない。

 

 会って説明することにする。電話を終え会うために坂を下る。同級生の母親もついてくる。

 

 うちの近くでさっきの暴漢とまた会う。銃を出してきたのでそれを奪い取り、隣の学校の敷地に投げ込む。

 

 もう、どちらが暴漢かわからない。むしろ自分も暴漢の仲間みたいな気がする。

 

 こんな状態でうまく説明できるのだろうか。(終わり)

 

 

 

    思ったこと

 目が覚める。被害を受けた側なのに罪の意識、罪の自覚。巻き込まれている。後ろめたさ。そういう複雑な環境。

 

 同級生の母親なんて何十年ぶりに会った。夢だけど。

 

 自分が誰かにお願いするなんて珍しい。

 

 

 

 ブロンテ一家に関する本を読んで:

 

 あの人たちは自分のむき出しの生とがっぷり四つで組み合っている。そう思った。

 

 社会的地位や慣習に守られることをよしとしなかった。

 

 というかそういう器用なことができない。生きていくための身を守る盾や便利なツールを利用できない。

 

 その結果大変厳しい人生を生きることになった。皆早死にしたのはそのせいだろう。

 

 でも、盾がないおかげで、世界と直接向き合える。ゴウゴウとした風や強烈な日差しを思い切り受けることができる。

 

 時々そういう人間がいるらしい。そういう人は詩人や作家に多い。

 

 そういう人間は風に直接触れていないと生きていけない。でも風を直接受け続けるせいで風邪を引く。洒落みたいだけど。

 

 

 別に高名な作家になれたからどうとか、なれなかったから意味がない、とか、そういうことでなかった。

 

 そんなことはどうでもよかった。

 

 ただ自分の生を味わい尽くすことを望んだ。そういう生き方。

 

 彼らは自分がそういう人間で、"普通の"人たちのように生きることができない、ということに気づくまでに大変な苦労をしている。

 

 そして、なんとか自分の人生と折り合いがつくようになった頃に亡くなっている。

 

 

 とても興味深い生き方。

 

離れるのかくっつくのかどうするのか

 曇り。小雨混じり。

 

 西日本も梅雨入りした。

 

 本格的な梅雨のシーズン。

 

 

    夢を見た

 (その1)海沿いの道路を車で走っている。

 

 坂を下る。セカンドにギアを落とす。ちょうどいい具合にスピードを落とせて楽だ。

 

 坂を下りきるとやや大きめの道路に突き当たる。右に曲がる。

 

 しばらく進む。突然道が混雑してくる。道の先で子どもたちがパレードしている。付き添いの大人も一緒。

 

 子どもたちをよけながら進む。

 

 こんなところでパレードするなよ、とか、学校はこんなどうでもいい行事を組むな、とか、個々の家族で子どもたちをどこかに連れていってストレス発散させたほうがいいのでは、などと思う。(終わり)

 

 

 (その2)ゲームの夢。2DのRPGか。パーティを組んで進んでいく。

 

 建物に入る。画面が切り替わるとなぜかパーティの後ろの人間とぶつかってしまい先に進めない。

 

 どうすればいいのか。後ろの人間も自分にすればいいんだ、と思うが、すぐにどうやって? と頭を抱える。(終わり)

 

 

 

    思ったこと

 目が覚める。車を運転する夢なんて珍しい。

 

 現実世界ではペーパードライバーだ。何十年も乗っていない。

 

 今の車の変速ギアはどうなっているのだろう。変速レバーが手元についていたり、ATなのにレバーをMT並みに前後左右に動かさないといけなかったり、そんなものがあるとネットで見た。

 

 

 夢の中のパレード。学校の謎行事。自分はそういったものは全く馴染めなかったが、あれを楽しんでしまう人間もいたのだ。

 

 人生楽しんだもの勝ち。という人もいるし、自分もつい最近までそう思っていた。

 

 だけど今はそんなに刹那的になるな、疑問に思うなら、ちゃんと考えてけりをつけろ、自分の筋を通せ、と思う。

 

 

 ゲームの夢は仲間が障害になるならひとりで進むしかない。

 

 

 

 最近ネットや本で感じたこと:

(その1)YouTubeの番組を観る。注・かなり閲覧注意な内容です。

 

 [毒親 精神的に未熟な人?]精神科医と漫画『血の轍』を読んでみた/漫画さんぽ  ゲームさんぽ/ライブドアニュース

https://youtu.be/Ivin4VET0Y8

 

 番組の内容は漫画家自身の毒親体験を元にした漫画を精神科医と一緒に読むもの。

 

 

 重い。重すぎる。私の個人的な体験がフラッシュバックして気分が悪くなった。頭の中にいろんな考えが侵入してきてしばらく寝込んだ。

 

 これを書いている今も思い出してしまい、かなり気分が悪い。

 

 参考になったこと。人間は罪悪感を抱え込んで成長するもの。毒親などのある種の人間はそれができない。

 

 確かにそうだ。私のまわりには苦情を言われてもニコニコしている人や、攻撃されたと思って反撃に出る人が多かった。

 

 そういう人は、たいてい子どもっぽい。

 

 罪悪感や矛盾を抱え込めないと大人になれない?

 

 抱え込む。自分で受け止める。身体を使っているな。精神的な話なのに変な言い方だけれども。

 

 子どもっぽい彼らは物事に対してかなりの距離がある、何があっても他人事だ。客観的なクズ?

 

 そこまで思ってギブアップ。もうお腹いっぱいだ。危険な傾向なので離れる。

 

 

 思い出す。昔カウンセラーに「あなたの母親は宗教がなくてもかなり問題のある人だ」と言われた。

 

 当時はああそうなのか、そういう意見って大事だな、なんてぼんやりと思ったが、今は、それを言われたからってどうすることもできない、どうせえっちゅうねん。といった感じ。

 

 困っているときに意見を言われても困る。正解など傷つくだけで役に立たない。

 

 

 (その2)本を読んで。

 

 「ブロンテ姉妹 ・人と思想」(青山誠子著 清水書院)

 

 「嵐が丘」「ジェーン・エア」などを書いたブロンテ一家の話。

 

 彼らは父親を除いて皆早死にしている。30代や20代で亡くなっている。

 

 私が気になったのは死に臨む彼らの態度だ。

 

 作家であったブロンテ3姉妹は、死を受け入れて穏やかに、そして超然として亡くなっている。

 

 3姉妹の真ん中のエミリは病気を我がこととして受け止めて、医者にかかることを拒否し、最後まで家事をして亡くなっている。末の妹のアンは看病してくれる姉を励まし続けて亡くなっている。

 

 3姉妹の一番上のシャーロットは皆を看病した後に旦那に看取られて亡くなる。わりと穏やかな最期。

 

 

 それと対照的なのがきょうだいで唯一の男であったブランウェルだ。

 

 受験に失敗し、郷里に帰ってきたあと、酒と薬物に溺れて結核で亡くなっている。

 

 

 なぜだろう。3姉妹のほうは女とはこうであらなければならない、というのに抗って生きている。

 

 ただ抗いながらもその役割を果たしている。しなやかだ。

 

 

 それにたいして男のブランウェルのほうは、男はこうあらねばならない、こう生きなければならない、という世間の期待に応えるのに失敗したが、それの代わりになるものを見いだせなかった。

 

 それで逃げ場がなくつぶれた。そういうことでは。逃げ場というか居場所がない。

 

 女性のほうは社会進出の機運という新しい流れがあったが、男性のほうは昔ながらの考え方しかなかった。

 

 

 これは参考になりそうだ。

 

 適応しようと努力したらつぶれるだけ。むしろ外に向かう。

テキストではどうにもならない。布団を干す

 曇り。

 

 だいたい曇っていて、時々晴れ。まれにどしゃ降りの雨。

 

 今年はこんな感じか。

 

 

 洗濯する。

 

 布団を干す。今日は晴れの予報だったが曇っている。最近の天気はあてにならない。

 

 自分の目で見て、晴れていたら干せばいい。情報にぶら下がらない。

 

 だけど、布団を干すなんていう"重労働"は体調のいいときにしかできない。

 

 だから多少曇っていても、動けそうなときに干しておく。

 

 そうやって消化していかないと用事がたまって身動きとれなくなる。経験則。

 

 体調も天気のようにままならない。

 

 

 

 近所のママさんが公園で子どもを遊ばせている。子どもとたくさんコミュニケーションしている。

 

 

 思う。一見破天荒な親なのにまともな子どもが育つことがある。なぜなのだろう。

 

 破天荒に見えても、その親の中に、これはしないといけない、これはしてはいけない、という筋がはっきりとあるのでは?

 

 そしてそれをちゃんと子どもに伝える。これはとても手間ひまがかかることだ。

 

 テキストで代用することはできない。人間の仕事。

 

 

 たとえば、他人に迷惑をかけているのがわかったら、理屈をあれこれ言う前にとにかく止まれ、とにかくやめろ。など。

 

 こういうことを教えるのはとても面倒なことなのでは。その場に一緒にいて、その都度教えないといけない。

 

 テキストを読ませて、はい、わかりましたね、じゃあ終了です。というのは無理だ。

 

 

 そんなことを思った。

その場になじむ。情報が入ってくる

 曇り。

 

 梅雨入りしてからかえって雨が降っていない印象。

 

 

   

      夢を見た

 電車に乗っている。

 

 大学時代の同級生2人と一緒だ。

 

 乗り換える。ひとりは都心の飲食店でバイトだと言っていなくなる。

 

 乗り換えた電車はかなりローカルな路線。

 

 特急に次々と追い抜かれていく。

 

 同級生と話す。タカハシという女性の先輩がいるらしい。

 

 まったく聞いたことがないが学部では有名人のようだ。

 

 その先輩どころか自分のいる学部にすらまったく親近感を感じないことに気づき驚く。

 

 もう4年生だ。同級生も就職していくだろう。

 

 自分は勉強メインで仕事は合間に少しだけの生活になりそうだ。

 

 大学すら合わないのに勉強って何をするんだろうと不安なる。(終わり)

 

 

 

      思ったこと

 目が覚める。相変わらずというかなんというか。

 

 

 洗濯をして買い出しに行く。

 

 地元から電車で20分ほどの大きな書店に行く。

 

 改装されてからおしゃれになったのはいいが明らかに本の量が減っている。

 

 検索機を使ってもほとんどヒットしない。それでイライラしている。

 

 こんなことおかしい。ネットや検索機がある前はどうしていたのだろう。

 

 うまく思い出せない。検索で在庫を調べるのではなく、棚にあるものの中から面白そうなものを探し出す、ということをやっていたのではないか。

 

 今はまるで検索機を使って正解を探す作業みたいだ。これではつまらない。

 

 

 書店を出て、電車に乗る。電車は街中をものすごいスピードで駆け抜けていく。

 

 それで気分が晴れる。自分が安あがりな人間でよかった、と心から思う。

 

 

 下町の駅で降りる。昼食をとる。下町は食べるところが多いのがいい。

 

 ここは確か駅前に大きなスーパーがあったはずだが、探してもない。

 

 駅前の地図をよく見る。隣の駅だった。今まで勘違いしていた。

 

 隣駅まで歩くことにする。いい気分転換になる。下町は歩いている人が多い。

 

 ネットをやっているとものすごく神経が緊張するらしい。

 

 そうでなくてもうちは神経を削られる要素が多い。

 

 歩いているとそれがほどけていくのがわかる。

川を越えて隣の駅へ

 

 隣の駅に着く。スーパーに入る。下町のスーパーはとても活気がある。

 

 果物が山積みになっている。そんな季節だ。買い物を済ませて出る。

 

 

 さらに電車に乗る。途中下車して大きな書店街まで歩く。

 

 週末ということもあってお酒を飲む店は大変な混雑だ。

 

 コロナ騒ぎも収まってきた。早く特効薬ができればいい。

 

 

 書店に入る。さすがの品ぞろえだ。さっきよりも本が目に入るようになっている。

 

 環境になじむのに時間がかかる。自分は特にそうだ。”本を探すモード”になるまで時間がかかる。

 

 一冊買って帰路につく。

 

 

 本を読んで知識を入れるよりも本当はもっと空っぽになりたいのではないか。そうすれば環境からの情報がそのまま入ってくる。

 

 まわりの環境はつらいことが多いがそういう情報ではなくて、川や風や季節の変化とか、そういうことだ。

 

 そんなことを思った。

 

 

 うちに帰る。母の家事を手伝う。こういうことはやはり女性のほうに明らかにアドバンテージがある。でもそこにいるメンバーでなんとかやるしかない。