曇り。
寒さに慣れてきた。
やっと季節が進んだ。
思ったこと
夢を見た
学校。次は体育の授業らしく着替える。私は具合が悪い。親が迎えに来て帰る。
夢の中で「おいおいどうなっているんだ」と戸惑っている。学校を早退なんて現実世界でもした記憶がない。
数学の教師が入ってくる(体育だったのでは)。とりあえず担任の先生に挨拶してから帰ろうと思い、職員室を目指す。
面倒だが病院に行かなければなるまい。ここで微妙に現実世界の情報が入ってきて、PCR検査を受けたほうがいいのでは、と思う。
校舎を2階まで降りる。そこから下に降りる階段が見当たらない。母親が廊下の隅に非常階段のような狭いものを見つけ、さっさと降りていく。
職員室は2階なのだが、と戸惑う。(終)
夜中に目が覚める。夢の内容(というか印象)について思いを巡らす。そしてこれまでの人生について考える。
病院の先生やカウンセラーに言われたこと、体調を崩したこと、亡くなった知り合い、家族のこと。
結果、出てきた言葉は
もうこれ以上の重荷は背負えない
だった。そうかそういうことだったのか、学力とか進路とか適性とかそういったこと以前の問題だった。自分はまわりで起きたことをすべて抱え込んでしまう。
これからこの重荷を下ろす作業をやっていくのだろう。いや、これまでも無自覚にこれをやってきた。これまで起きたことを自分の言葉で受け止める。客観視とは反対のことをやるのか? 噛み砕いて消化する。
といってもやることはこれまでと変わらない。変に勘違いして”真面目に”やりだすのは困る。
ニュースを観て
世界的なスーパースターのマラドーナ氏が亡くなった。私はサッカーは詳しくないがそれでも私のまわりのサッカーをプレイしていた人間にとって神様みたいな存在だったということはわかる。確かマラドーナ氏の弟がJリーグでプレイしていた。
私がマラドーナ氏の海外での評価を実感したのは昼夜逆転に悩まされていたころに深夜に観た映画のおかげだった。
「大きな翼を持った老人」という1988年の映画で原作はガルシア・マルケス。
内容は寒村に翼をもった老人が現れてこれは天使に違いないと大騒ぎになる。その顛末を描いたもの。映画のラストはやや皮肉が効いている(というか”いけず”か)。
その映画の中でパレードをする場面があり、パレードに参加している人たちが
「マラドーナ万歳、天使万歳」と叫んでいた。(と記憶している。うろ覚えなので正確なセリフはわからない。というかそもそも本当にこの映画だったのかも怪しい)
それを聴いて、そういうレベルか。本当に神の子じゃん、と思った。
もうこういう素朴なタイプのスターは出てこないだろうな。