晴れ。また寒い。
本当に極端だ。
夢を見た
学校で旅行に来ている。山の上の何かの研究施設。既に使われていないのか誰もいない。
見学を終えて集合して帰る。まわりの人間と話す内容は過去と現在が混ざっている。夢の中の会話らしい。
気づくとまた研究施設にいる。誰もいない。と思ったらまだ一人いた。一緒に帰る。設定がバイオハザードが起きていることに変わっている。
急いで山を下りる。さっきの夢で帰った道はどれだったか。迷う。
運動部の合宿か、走っている人間がたくさんいる。山の中に道路を通そうと工事をしている人間もいる。
こちらでない、と引き返す。一緒にいる人間がゾンビにならないか心配だ。(終わり)
思ったこと
目が覚める。今回の夢の後半はフラッシュバックというやつだよな。突然それまでの生活の文脈が切れてつらい感情やストーリーにとらわれる。
これまで気づかなかったけれどもこういったことは実生活の中で頻繁に起こっている。突然つらい記憶がよみがえってきたり、怒りの感情が沸いてくる。それに無自覚だと目の前の相手が原因だと勘違いしてしまう。それで人間関係がうまくいかなくなる。
トリガーになるのは疲れや天候つらい記憶を思い起こさせるものなど様々だ。本当に厄介だ。
最近になってやっとこういった問題に気付くようになった。乖離が解けて自分の感覚が戻ってきたのか。
乖離が解けてどうなったのかというとかえって感覚がはっきりしてつらい。経験した当時よりもこれを書いている今のほうが感覚が生々しい。
当時はどんよりとしたしびれるような感覚はあった。でもそれ以上のことはわからなかった。感覚が麻痺してしまっている。その他にも物事に文脈や序列といったものがなかった気がする。
何がしたいとか、何が好きとかそういったことは漠然とあったが、それを進路と結び付けるとかそういったことは全くなかった。すべての思いがバラバラだった。
だけれども乖離のおかげでつらい感覚をシャットダウンできていた。それで何とか生きていた。
でもそれでは組み立てや積み上げができない。そういうことでもあったと今になって気づく。
乖離が解けてきてほかに気づいたのは、まわりの人間のことを考えることができるようになったことだ。
まわりの人間にもそれぞれの事情がある。
父はろくでもない言動でトラブルをさらに大きくすることが度々あったが、父の家庭環境というのは相当特殊なものであった(らしい)というところに今は落ち着いている。
問題を抱えながら必死で生きた過程でああなっていた。
でもそこで止めておく。そういうことなんだろうな、ということにしてそこから先には立ち入らない、それが秘訣らしい。ズブズブに同化しないこと。
親の処理しきれない感情を鎮めるために子供が暴力を振るわれる。子供が自分の感覚を親のトラブル処理に使われる。それがズブズブの同化の例だと思う。
小説やエッセイを読んでみても家族のことを書くのにはよほどの覚悟が必要らしい。ボロボロになりながらだったり、自死してしまった人もいる。
家族に近づきすぎるのはタブーのようだ。
そんなことを考えた。
今週のお題「チョコレート」
そんな精神状態だったから、バレンタインデーにチョコをもらっても何のことだか分らなかった。むしろ自分の世界では親切にしてもらうというのはものすごく悪いことが起きる前触れだったので、警戒モードに入ってフリーズした。
それで嫌われた。
悪いことしたなあ、と思うと同時に、もうこういったことはこりごりだ、とも思った。
そういう思い出。