晴れ。3月11日だ。
10年前のあの日は通院日で病院から自宅まで歩いて帰った。
帰りついたのは夜中だった。
確かに自分もあの日を生きていた。
ディスプレイの向こう側の出来事ではなかった。
夢を見た
道を歩いている。学校のグラウンドがある。野球をやっている。医療系の学校なのかみな白衣を着ている。
ライトに打球が飛ぶ。ライトがダイレクトにキャッチせずにヒットにしてしまったので、まわりから大声で何か言われている。
自宅に着く。大学時代の先輩も一緒だ。何か食べようと台所に行く。炊飯器に冷えたご飯がある。
先輩がそれにお湯をかける。電子レンジは使わないのか、ときくとうちはそんなことはしないと先輩は言う。
お椀とインスタントの味噌汁やスープの素が置いてあるのを見つける。余計なものに触らせないという母の強い意志を感じた。(終わり)
思ったこと
目が覚める。そして考える。
前回の記事を書きながら思ったこと:
人間はやましさや後ろめたさがあると考える。どうもそういうことらしいと自身の経験を思い返してみる。(自身の問題についてこれまでさんざん書いています)
自分だけ生き残ってしまった。他人を犠牲にしたのでは。というような思い。
昔はそれを感じることはなかった。乖離していたのだと今は思う。
だから昔の自分がこれを聞いたら、偽善者ぶりやがって、とか思っただろう。それで余計に傷つくことになる。
通院・セラピー・時間の経過などで症状が軽くなってくるとだんだん素朴な思いがでてくる。
ずっと当時のことを考えるのはPTSDなどの症状なのかはわからない。ただ病的でないものもあるように思う。
なんでも症状にしてしまうのはおかしいしもったいない。せっかく真面目に考えようとしているのに。それは自分のような怠け者にとっては奇跡みたいなものだ。症状というよりはむしろギフトだ。
しっかりと考えることが回復の条件の一つらしい。安全な環境や聞いてくれる人がいる、なども大事だ。
とはいえものすごく消耗してきつい。根詰めると何をやっているのかわからなくなるので注意。
今週のお題「花粉」
花粉症の薬は食事と一緒に飲むと効く。毎食後とかではなく時間で飲むように指示されている薬もあるけれど、食事と一緒のほうが効果がある。
それに気づいた。食事をとることでいったん休めるからなのかもしれない。ゆっくりしていると薬が徐々に効いてきているのがわかる。