雨。かなり激しい。
思ったこと
買い出しに行く。振袖やはかま姿の女性が目につく。そうかそういう季節なんだ。時間は確実に過ぎていく。
:今週のお題「〇〇からの卒業」
ようやくアーレントの「エルサレムのアイヒマン」をほぼ読み終えた。とてもしんどかった。
感じたことは:
素朴な結論だけど悪いことは悪いとしなければならない。だがナチスのジェノサイドレベルの悪になると、「どのように」というのがものすごく困難になる。巨大で今までにないもの。
いったいあれがなんだったのかということは誰もつかめていないのではないか。
それに私が気になったのはホロコーストを生き延びた人はその後どうなったのだろう、ということだ。
それまで自身を支えてきた常識の底が抜けてしまった。隣人や同じ民族の仲間さえナチスに協力して周りの人間を売った。場合によっては本人もそれに協力した。その結果があの大虐殺だ。
そのあとで生き残った人間はどんな顔をして何を信じて生きればいいのか。とても気になる。
基本的には相手(ナチス)が100%悪い。そこはどんなに後ろめたいことがあっても守らなければいけない。たぶんそれは本人だけの問題よりも大きな話だからだ。
個人ではとてもじゃないがあんな巨大な組織には抵抗できない。巨大すぎて環境そのものと言っていいくらいだ。それを把握することそのものも難しい。
ただ自身の経験(あそこまでひどくはないがそれでもかなりきつい)から言うと、「彼らが悪いことをしているのは確かなのだが具体的に何ということができない」、という違和感や詰まったようなもどかしい感覚は感じることができる。そこで立ち止まれるか、ということだろうか。
自分の場合も後から思い返してみれば結果としてそうだった(でも止められなかった)、ということだから個人のそういったものに頼るのは難しいのかもしれない。
違和感だけでは抗議すらできない。少なくともちゃんと言葉にできないといけない。
自分の場合は不幸な経験に負けずに「普通に」生きようと思ったけれどもそれは無理だった。
向こうからやってきてしまったものは、かわしたり否定することはできない。受け止めて考えて答えを出す以外になかった。それができなければ潰れる。
そういうことだった。今になってやっとわかった。