晴れ。
もう暑い。
春って昔からこんな感じだったっけ?
晩冬の次は初夏か。極端だ。
夢を見た
どこかの地方都市にいる。田んぼの間に水路が張り巡らされている。
路面電車に乗る。電車といっても長めの木の板があるだけそれが線路の上を移動している。
駅まで来たので降りる。新幹線が停まる駅。その割に規模が小さくしかも単線だ。
構内に入る。何故かロマンスカーの車両が通過していく。
次の新幹線が来る時刻までしばらく時間があるので食事でもとろうと思う。
駅のまわりには何もない。仕方がないので駅構内の売店をのぞいてみる。土産物のほかに棒状のおにぎりを売っている。(今思ったがそれはおにぎりではなくのり巻きだ。でも堂々とおにぎりと書いてあった。おにぎりが棒状になって画期的、くらいの勢いの売り方だった)
おにぎりを買う。土産はどうしようかと思ったがそんなことより食事が先だと思いなおす。
駅構内では学生の集団が着替えている。どうやら山に登るらしい。本格的な装備。(終わり)
思ったこと
目を覚ます。今回は学校の夢でなかった。ホッとする。
買い出しに行く。電車はそれなりの混雑。先週よりもずっと少ない。
本屋に寄る。やたらざわついているので何かと思ったら学校の教科書を販売する窓口があった。
そういえばそんな季節だ。毎年新しい教科書をもらってうんざりした記憶がよみがえる。去年倒したボスがまたよみがえってきたような気分。しかも強くなっている。そんなことを思うのは私だけか。
いろいろと考える。ここ数か月、延々と過去のことを考えている。いい加減ほかの話題に移れ、と思われているかもしれませんが、これがトラウマですと開き直る。
毎日過去の記憶やフラッシュバックに苛まれてうんざりする。毎日新鮮なダメージを受けている。そういう意味では過去ではなく今の問題。なんとかけりをつけないといけない。
最近戦争や戦争トラウマの本を読んでいてそれがかなり役に立っていることに驚いている。
それでうちの中の問題を戦記っぽくまとめてみた。
私がまだ小さかったころ、うちの中のトラブルによその勢力が手を突っ込んできた。一部の味方が寝返ってそちら側についたためだ。トップは戦うどころか何もせずにさっさと降伏した。保身のためか。それで味方に犠牲者が出た。よその勢力はそれを当然のこととした。私は何もできなかった。子供だったし逃げ惑う村人Aくらいの役割。
だめじゃん。身内に寝返った人間が出た時点でもうどうしようもないな。勝てるわけがない。それで寝返った身内はさっさとよその勢力の中にポジションを確保した。トップは傍観している。そのためよその勢力がうちの中に居座ってしまった。
そうなってしまった家庭に私の居場所がないことに気づいた。それでも何とか生き延びている。まるで山岳ゲリラかなにかみたいだ。昔だったら出家という手もあったか。
思った以上にひどい。書いていて気づいたが、一番ショックなのは戦争に負けたことよりも味方に裏切られたこととトップが守ってくれなかったことだ。まるでドラマのようなひどさ。
自分以外の人間は何事もなかったように暮らしている。彼らにとってすでに戦争は過去のことだ。
本の中で戦争を過去にできた人間の特徴は、亡命できた人間、何らかのスキルがあったり特権的な立場にある人間、だった。つまり比較的恵まれた立場の人間だ。亡命や移民できる人数には枠があり、役に立つスキルがあるものが優先された。
そうでない人間はどうなったのだろう。そもそも記録に残るのはある程度恵まれた立場の人間だけだし。
昔、職場の近くで第2次世界大戦中、中国で戦っていた老人の話を聞いたことがある。その人はいまだに上官のことを恨んでいた。
上官は自分がやらかした罪を部下に擦り付けて終戦直前に内地にさっさと帰ってしまったそうだ。なぜかお偉いさんの乗った飛行機は敵に攻撃を受けることがなかったという。すでに何らかの密約があったのか。残された部下は大変な思いをして引き上げてきた。
やっぱりそういうのは後々まで残るものなんだ。
それにしても露骨な力関係による悲しいほど身勝手な話だ。こんなの認めたくないよな。
人間みな我が身がかわいいだけ、なんて理屈で言ってみることもできるが、何とかしてこの記憶や感情を整理しないと身の置き場がない。言葉や理屈だけではそれは無理だ。
あまりこういうことを根詰めて考えるのもよくないな。今回だって居場所がないことに気づいてしまったわけだし。あまりやりすぎると自分を追い詰めることになる。
人間誰も自分がかわいい。だから私も自分がかわいい。というのがいいのかな。
「ひとに優しく自分に甘く」が正解なのかもしれない。