晴れ。
思ったこと
ここのところずっと鬱だ。
昔のことを思い出したり頭の中でくどくどと考えが止まらずにつらい。
これまでもさんざん書いたけれど、具合が悪くなると母と母の入信している教団との辛い記憶や感情がよみがえってくる。それにネチネチやられてつらい。
あの人たちは実際にトラブルが起きても平気な顔をしているのはなぜだろう。
トラブルが起きてもそれでもいいことだと言い切るのか?
他人や世界はあなたたちの頭の中に存在しているのでない。外の世界にはあなたたちの事情と関係なく暮らしている人たちがいる。それを尊重してくれ。と言いたい。
それが正しい、というよりもそういうことにしておかないと信仰や信条どうしでぶつかって血みどろの世界になってしまう。とてもじゃないが平和なんてこない。
ということを長い歴史の中で人間はつかみ取ったのではないかと思う。話が大きくなってしまったけれど、”絶対”や”正しい”なんてどうにも証明のしようがない。比較も無理だ。”絶対”の比較はあり得ない。
証明できたようでも他人から見たら欠陥だらけだったり、うまいこと言った、といったレベルではないかと私は思う。うまいこと言ってもさらにうまいことが出てきて覆される。きりがない。信仰をもった人間にとっては説明なんてどうでもいいことだろうけど。
それにそれがどうした? と言われてしまったらそれで終わりだ。そうか、それがどうした、というコミュニケーション拒否の姿勢は禁じ手なのか。はじめからケンカを売るつもりなら別だけれども。
なんか少しだけわかった気がする。真理や信仰の問題ではなく(そこに手を突っ込む気はない)まわりの世界との関係の問題だ。どんなに立派そうに聞こえることを言おうと他人に迷惑をかけて平気な顔をしている時点でアウトだ。
私は宗教を否定する気もないけれども、もうすこしまわりとの調和を考えてほしい。まわり、とは人間やほかの分野の情報などだ。それと調和?というかうまくやれるように気を遣ってほしい。うまくやる気がないのなら、衝突を避けるためにせめて距離を取ってほしい。
そういうこれまでつちかった人間の知恵?を無視して自分が正しい(あとは知らない)、という人が増えたような気がする。
自分が正しい、とガンガン前に出てきたらトラブルになって当たり前だ。あなたも私も欠陥だらけなのだから。
などと考えた。これは鬱や頭の中のトラブルを解消するために(必死に)考えたアイデアで学問的にどうだとか、具体的にはなんだとか、そういうことは知らない。そういうことは専門家に聞いてほしい。
今回のトラブルも何とかなった。何とかねじ伏せた。頭の中でのことなので他人から見たらなんだかわからないだろうけど。
(少し挙動がギクシャクしているかもしれない)
スッキリするのはいいがしんどいのは勘弁してほしい。休みたい。
あともう一つ気づいたことがある。家族や仲良くなった他人を売るな。比喩的な意味でもダメだ。私はそういうのが大嫌いだった。まるでビジネスだ。これを突き詰めたら行きつくところはヒューマン・トラフィッキング(人身売買)だし。
このトラブルは現代特有の新しいものなのだろうか。よくわからないけれど。