曇り。
連休が終わった。
夢を見た
自宅にいて家事をしている。
今日は卒業式だと気づいて出かけようとする。すでに遅刻確定。遅刻するのははじめてだ。
だが来客があって出かけられない。帰ったあと慌てて制服に着替える。母が姉にその制服をゆずれというのでこれは男物だと言い返す。
靴下を履こうとするとこれまた姉が履いてしまっている。姉に一回履かれると名前を書かれて姉のものになってしまうので困ると私は言う。
のどが渇いたので瓶に入った飲み物を飲む。シャンパンだった。酒飲んで学校行くのかよ。
まあいいか。心のどこかでそれくらいの緩さがいいと思う。
本当に卒業できるのだろうか? 同時にどっちでも大丈夫だと思う。(終わり)
目が覚める。卒業できなくても大丈夫な気がしてきた。というかずっと勉強し続けることになるのだろうと思う。
思ったこと
今読んでいる本にとても衝撃を受けている。(まだ途中までしか読んでいませんし、とても大雑把な感想ですので詳しく知りたいかたは本を実際に読んでください)
「アメリカの鏡ー日本」ヘレン・ミアーズ著 伊藤延司訳 角川学芸出版
これは終戦後アメリカ側のスタッフとして占領政策にかかわった女性が書いた本だ。
なのに(だからと言うべきか)日本とアメリカがやったことを冷静に書いている。マッカーサーは占領が終わるまではこの本を日本で出すことを禁止した。
本の中で:
戦争はパールハーバーからではなくその前にアメリカなどがやった経済封鎖からすでに始まっていた、(資源の乏しい日本は資源を求めて前に出るしかなかった)、とか
防衛のための戦争、といいながら本土からかなり離れて本土には全く影響がなさそうなところにまで攻撃をしている、(防衛といいながらはじめから占領することが目的だった)、とか
圧倒的な物量差があったため途中からは一方的な戦いになった、(日本軍の補給線を切ってしまえばもう勝敗は決まっていた、そうなってしまったあとは日本軍はゲリラ的に戦うしかない)、なのにアメリカは最後まで容赦せず徹底的にやった、(最後には無差別爆撃で市民まで目標にした)、とか
そういった言われてみれば確かにそうだよなと思うことが書かれていた。
書いてあることで驚いたことがいくつもあった。例えばポツダム宣言を受け入れて降伏する前に日本は何回か講和の話し合いを持とうとしている。いずれもアメリカに無視された。アメリカは徹底的に日本を潰す気だったのだろうか?
中でも一番驚いたのは占領政策に関係したことで、戦争が終わった後でその国のシステムに手を突っ込んで教育などをすることに疑問を持っている。アメリカの人間がだ。
一瞬、なんで? と思ったが、よく考えてみると戦いが終わったらノーサイドで軍は引き上げなければいけなかったのではないか。たぶんそうだ。詳しくはわからないけれど。
そのあとに残ってあれこれいじろうとするのはいけないことだった? 今まで当たり前のことだと受け取っていたけれど。人間の内面にまで攻め込んでいる? 国の在り方そのものから否定されたのだろうか?
(ということは本来は他の人間の内面には踏み込んではいけない、ということだ。それも言われてなるほどとなった。他人に考えを売り込みに行くのはある意味アメリカらしい習慣なのかもしれない)
またアメリカのやり方を全く考え方の違う別の国民に無理やり押し付けてもうまくいかないとも著者は言っている。
表面上うまくいっているように見えているけれど、そうなのかもしれない。うまくいっているように見えたのは疲弊して飢えた国民に食料などを援助したり(これは本当に助かったのだと思う)、戦後の経済成長でそのことを考えなくて済んだためだろうか。
だけれどもそのおかげで他の部分が見えなくなった。
最初から占領して内部をいじりまわすつもりだったのか。ひどいな。
なんてこった。びっくりした。でもおかげでこれまでさんざん書いている、母と母の入信している教団がしていることが見えてきた。結局はそこに戻る。
子供のころから彼らがおかしなことをしているのはわかるのだが、それが何か指摘できない、というもどかしい思いがあったが、子供が指摘するにはあまりに込み入った問題だったようだ。
この本以外に下記の本を読んでいる。自分はいくつかの本を同時に読むタイプだ。これも戦争にまつわる物語。