蒸し暑い。
洗濯物を干す。もう花粉を気にしないでいい。
それが素朴にうれしい。生き延びた感じがする。
今年は梅雨が早いらしい。
夢を見た
大学時代の友人が運転しているバイクの後部座席に乗っている。車種はたぶんホンダのCBだ。(SFか) 排気量はわからない。
大きなホームセンターに来る。雨が降ってきた。かばんや雨具を見る。防水のいいやつがある。買ってはいないようだ。
さらに移動する。びしょぬれになる。なぜか着る寝袋を着用していて寒くないのでいい。それを友人に言う。だけど濡れるのを避けられていない。
小さなバイク屋に来る。同級生はそこの年配の女性と話している。修理の依頼だろうか。
出発する。ヘルメットをかぶろうとしたが、なぜかヘルメットに白飯がいっぱいに詰まっている。これではかぶれない。
今は早朝だ。友人は今から遠くに行こうという。夜通し走ったのにまだ走るのか。(終わり)
目が覚める。この友人はバイクの楽しさを教えてくれた2番目の人間だ。1番目は叔父だった。
思ったこと
買い出しに行く。思ったよりも人出が少ない。
人々の顔が一様に暗く見えるのは私の心象が反映されているためだろうか。
あるいは日差しが強くなった分影の部分も濃く見えるのか?
トラン・アン・ユン監督のベトナム映画を思い出す。
また昔のことを思い出す。人間は小学生時代に形作られる。という人がいる。
自分は小学生時代の記憶はほとんどない。行事や出来事の記憶はある程度あるのだが何が好きだったとかそういうのはあまりない。
少し思い出してみる。読書が好きだと自覚したのは中学生になってからだ。
それよりももっと前の話か。私はファミコン世代だが、当時はファミコン以外にもたくさんのハードが出ていた。ぴゅう太、ポケットビジョン、MSX、PCエンジンなどだ。セガもたくさんハードを出していたがそのほとんどを知らない。PCタイプのものはゲーム機と言っていいのか疑問だが、私はプログラミングには興味がなくゲーム機として認識していた。
父は新しもの好きなのかゲーム機もそれ以外の機器もいろいろなものを買っていた。ワープロやシャープのポケコンなどだ。ただ、買うだけで満足して使っているのはほとんど見たことがない。これは私も似ている。買って満足する。買うまでが楽しい。
そのあともたくさんのゲームハードが出たが、ソフトウエアがCDで提供されるようになってからはすべて”同じもの”として認識してしまい、ワクワク感はほとんどなかったような気がする。
昭和世代だからかボタンやレバーがついているものこそが機器だ、という認識(偏見?)があって、スマホは受け入れがたい。いまだにガラケーだ。(BlackBerryを見つけた時には狂喜した)
ゲームというよりもゲームハードやガジェットが好き。ボタンやレバーが好き。それが小学生時代に形作られた。
さらに思い出す。・・・そういえば裁縫(というか裁縫のまねごと)をしていたな。こんなこと忘却の彼方だった。
中学に入ると男子は技術、女子は家庭科を強制的に履修することになった。選択の自由はない。今はどうだかわからないけど。そのときはなんで家庭科を選べないんだ、と少し残念だった。でもそれは”どうでもいい”話だと思い、すぐに忘れた。
どうやらちっともどうでもよくなかったようだ。いまだに時々ミシンが欲しいと思ったりする。
そうか、そういうことか。そんなこと考えたこともなかった。ダメなのかこれって? もしかして大事なことか?
今週のお題「やる気が出ない」
久々にお題に取り組んでみる。私の場合、これまでのブログでたくさん書いたようなことで(わりと残酷な内容なのでリンクも貼らないし、おすすめもしませんがよければ読んでください)「やる気が出ない」、というよりもやるように言われているが、「やってはいけない」、あるいは「やる気を出してはいけない」、というジレンマを抱える経験が多かった気がします。それに気づかず子供時代からのかなりの期間を大混乱の中で過ごしました。それで何とか今は正気?を取り戻しつつある途中にいます。
(その経験のおかげで怠け者の私は強制的に鍛えられ、皆が右といえば左に行くようなひねくれ者になりましたが)