雨。
梅雨らしい天気。
夢を見た
自宅にいる。台所にいる。自分の席は母が何かしていたらしく散らかっている。母方の親戚の名字が書かれた封筒がたくさんある。片付けるがきりがないのであきらめてほかの家族の席に座る。
亡くなった姉もいる。夢の中でも亡くなったことには気づいていたが、まあいいか、と思う。
門扉が開いている。そこから母の入信している団体の信者がどかどかと入ってきて食事が中断される。怒りに震える。(終わり)
目が覚める。食事くらいまともにさせろ。怒ると無力感やみじめさが数倍になる。
思ったこと
買い出しに行く。今日は母に頼まれたものが多く、重い。心の中でぶつくさ文句を言うが、よく考えたら母の歳になったら当たり前だよな。誰かが代わりに行かないと。
?・・・自分の中で”当たり前”は禁止だった。ちゃんと考えろ。子供のころに誰かがちゃんとかまってくれないと歳をとっても誰かにかまってほしいという気持ちが不満として残ってしまう。それでブーブー文句を言うことになる。そういうことだと思う。決してなくなるものではない。我慢すれば後に残り、自分の代で済まなければそのしわ寄せがつぎの代に確実にくる。それが重い親として現れるのだと思う。トラブルを起こす一部の大人もそうかもしれない。
そんな理屈をこねなくても親がずっしりと重いときはある。子どもも大変だし主婦(夫)も大変だなあ。
思い出す。そういえばなんでうちの親は父方と母方の両方の親の面倒を見たんだろう?
長男の嫁プラス、娘はお前しかいない、のダブルコンボだった。
でもおかしいな。父の兄弟には女性もいたし、母には上に結婚している男子がいた。なのになぜうちばかりが。・・・ひどいな。
どの家庭も何も言わずにそうやって我慢しているんだ。という言い方もありますが、私は誰もしないのならば、それはなおさら私の仕事だと思っているところがあるのであえて言います。
「あんたたち何なんだよ。ふざけやがって。いつもは知らんぷりしていてトラブルの時ばかりコンタクトしてきてさ」
全国の”親戚同士の交流はほとんどないのにトラブルは当然のように押し付けられる家族”代表として言いました。ふう、すっきりした。
あと、これは全くの私の妄想なんだけれども、かつて専業主婦が担っていた仕事がどんどんないがしろにされている気がします。大きなことではなく、ただ子どもとずっといるとか、近所の老人がどうしているのか気にするとか、そんなやつ。うまく言えないけれど。
上記の問題もそういう社会の変動の中ででてきたのかもしれない。
そんなことを考えた。プロの?主婦(夫)からしたら何をいまさらなのかもしれないけれど。
今週のお題「100万円あったら」
反体制的な?私としてはすべて自分の休養のために使うことを提案します。みんな疲れているでしょ。カウチでひたすらボーっとするとか、温泉に行って食事と入浴以外何もしないとか。そんな感じのやつ。湯治か。