晴れ。
本格的に夏が始まった。
夢を見た
ゲームの実況プレイ動画を観ている。
気づくと自分でもゲーム機を立ち上げている。動画を観てやる気になったのか。
ゲームの中の世界は夕暮れ時。空が赤っぽい。
ふとディスプレイから目を上げて窓の外を見るとこちらも夕暮れ時であった。
現実の空はすさまじい。印象派の絵のような雄大な景色が広がっている。
しばらく我を忘れて空に見入る。(終わり)
思ったこと
目が覚める。すさまじい空だった。日本の風景ではなさそう。コーヒーのブルーマウンテンという単語が浮かぶ。中南米の大規模な農園。そんな風景だった。
前回のブログに書いたことを思い出す。人間は存在即賛美というわけにはいかない。工夫がいる。もしかしたらこれが一つの回答なのかもしれない。”時間の蕩尽”といったのはバタイユだったか。我を忘れる。価値判断が止まる。理屈でなくそれを体験する。
買い出しに行く。歩く。暑いときは外にいるほうが気分がいい。身の危険を感じるレベルではそうも言ってられないが。
こんな炎天下で歩いている人は誰もいない。夢の中みたいだ。だから好きなのかも。
道沿いのマクドナルドだけは大混雑している。
スーパーで買い物をして帰る。
考える。
手に入るものを食べる。着る。感謝というよりはおいしいとか、いいものが手に入ったと喜ぶとかそういう素朴な思い。
食品添加物がどうしたとか、作っている国で人権侵害が起きているとかいう問題もあるけれど、こっちのほうが上で書いたことに近い。生きているということに近い気がする。
感謝も大事だけれどそれ以前にベースとなるものがいる。それが上記のことだと思う。感謝だけだと説教臭くなる。他人の都合を生きさせられている感じ。
理屈ばかり言っているとどんどん嫌な人間になっていく。相手に文句を言うとそのことで自分の人生を生きられなくなる。まあ、クレームはつけるしどういうことなのかけりはつけないといけないと思うけど。