晴れ。
ワクチン2度目の接種をした。
そのせいで具合が悪い。
熱が徐々に上がっている。
思ったこと
上にも書いたが2度目の接種に行った。
場所は大手町の大規模接種センター。
スタッフは慣れているというかだいぶんあきあきしているよう。
そりゃそうだ。毎日何千人相手に同じことをしているのだから。
・・・助かります。
テキパキと終る。そして外に出る。久しぶりの東京なのでテンションが上がっている。少し歩くことにする。
どこもあまり人出はない。丘を越えて秋葉原に行く。こんなご時世なので店には入らない。買うものもないし。
まったく活気がない。子どものころから秋葉原には来ているがこんなことははじめてだ。ジャンク屋も開店休業状態。
とにかく歩く。久しぶりのせいか何を見ても面白い。東京はビルだらけで無機質というがとんでもない。ビルにも個性があり、看板もまた個性的だ。ビルが東京の自然なのか。
満足というか納得するまで見て帰る。この感覚には馴染みがない。これまでは効率というか早く早くといった感じだった。歩いて建物見ただけで満足するなんて。
何度も建物や橋をじっと見てみる。完全に怪しい人だ。
古くて雰囲気のある定食屋がまずかったりするのまでも楽しい。(あの安さでサラダ味噌汁まで付くのはすげえと思った)
どういうわけだかわからないが、この世界と折り合いがついた気がした。世間ではないのかよ。自分の感覚・情報の受け取り方の問題? 身体が出来上がってきた? この齢でかよ。少し戸惑う。
考えてみると物を買うのだって1日(半日)で店舗に行って決めて買って帰るのではなく、何か月も前からカタログを見てあれこれ想像したり、買い物の当日もいくつも店舗を回って比較検討(というか、あーでもない、こうでもない、と店員と話したり悩んだり)するのがいいのか。
それが正解というよりもそういう流儀がよさそうだ、ということ。カタログを見たりすることも含めて楽しいプロセスか。面倒な野暮用ではなく。
この齢になってやっとそういう余裕が出てきた。満足が身に降りてきた。
電車に乗りながら考える。自身の責任でしゃべったり行動しないとどんどん堕ちていく。自分に対しても他人に対してもそうだ。だけど、味方が誰もいない状態でそれをやらなければいけないのは本当にキツイ。自身の中の嫌なものを大量に見ることになる。妥協やごまかしが大量にある。そうしないと生きていけない。
最後がこれかよ。疲れるとこんな感じだ。
そんなことを考えた。