曇り。
寒暖差が大きいことが当たり前になってしまった。
身体がついていけるかどうかは別問題だ。
思ったこと
買い出しに行く。普段使っているノートPCの調子がおかしいのでショップをのぞいてみる。
たくさんありすぎて区別がつかない。丈夫でメンテナンスがしやすくて動作が安定しているのがいいな。動作の安定はメモリの量とCPUのパワーだと思う。詳しくはよくわからない。あと丈夫なキーボードも必要。
今使っているPCはジャンク屋さんで購入した。7~8年使っているが特に不具合はなかった。ここ最近になってカレンダーや時計が狂い始めたのでネットで調べてみるとカレンダーや時計を動かす電池が切れているようだ。
そこまで行くとさすがに買い替えとなるらしい。ネットには分解して電池を交換している人間の話もあったがそこまでできる自信がない。それで壊れたら困るし。
自分はゲームや画像処理はやらない。ブログなどの文章が書ければいい。ショップの店員と話す。それだったらどれでもいいというレベルらしい。どれでもいいというのが一番選択に困る。
ついでにいろいろ話す。最近のゲームの動向としてはクラウド技術を使ってネット経由でデータを処理するサービスが出てきているらしい。それだとネットの向こう側でデータ計算をしてくれるので高性能のPCは必要ないとのこと。ただある程度高速のネット回線が必要。
時代は進んでいるのだな。話を聞けて楽しかった。こういうのは実店舗に行かないとできない。
本屋に行く。あまり読書欲はわかない。”散文的”自分の書いている文章はこういうらしい。それが分かったのが収穫か。
また考える。
- 長期的に物事を考えられない。これをやったらこうなる、ということが考えられない。
- 自他の区別ができない。相手は自分と違う条件や考え方にあるということがわからない。
- 理屈と現実の区別ができない
これらが悪意なく他人に迷惑をかける人間の特徴らしい。それは幼さ・無垢さ、というのにあたると思う。これらは想像以上に有害のようだ。そういう人間にはモンスターや怪談ホラー的な怖さ・悲しさがある。その無邪気さで自分自身をも傷つけている。無邪気さは教育のされなさ、と言い換えてもよさそう。
こういうことを考え続けるとどんどん嫌な人間になっていく気がする。でも無邪気に他人に迷惑をかけてニコニコしているのもどうかと思う。そういう無邪気な人間に酷い目にあわされている、そんな立場になってしまったらどうにかしてけりをつけるしかないか。
まるで供養でもしているみたいだ。
そんなことを考えた。考え続けて少しばかり賢くなるたびに自分がぶっ壊れているという実感が強まってくる。まいったな。
さて、うちに帰ろう。疲れ気味なので頭を空っぽにして何も考えないことにする。読書も禁止だ。