曇り。静かな日。
夢を見た
自宅の近所を歩いている。いつの間にか夜になっている。坂を下る。スケボーを持った女性と会う。話す。バスに乗って帰ることにする。女性も一緒に乗る。
自宅の近所のバス停まで来たので降車ボタンを押すがバスは止まらず。終点までいくことになる。
終点でバスを降りる。電子マネーで払う。マスクをしていないことに気づき慌てる。
いつの間にか朝になっている。隣の市まで連れてこられたようだ。電車の駅まで歩く。
駅に着く。駅の路線図を見ると隣の市どころかはるかに遠くまで来ていることに気づく。どうやって帰ったらいいのかわからない。
近くに太めのおばちゃんがいて教えてくれる。電子マネーのチャージをして電車に乗る。さっきの女性と今のおばちゃんも一緒らしい。
電車の中を移動する。車両の中に板で傾斜が作られていてその傾斜の中に穴がいくつもありその中に乗客が座っている。スマートボールの台みたいだ。
座っている人を踏まないように移動して席に着く。車内には父がいる。父が持っているマスクを原料にして食糧か酒を造れるらしい。男性が父のマスクを持って車両を出ていく。
「陛下にもらったマスクなのに」と父が言う。(終わり)
思ったこと
目が覚める。マスクって陛下がくれたんだっけ? いや違ったよな。一時期なんとかマスクとして有名だった。
それにしてもなんとか家に帰ろうと努力すると、かえってどんどん自宅から離れていくのは何故なのか?
実際の自宅はめちゃくちゃなので本当は帰りたくない・帰れないのではないか? 帰るところはあるのか。そういう心理を素直に表現している?
夢の中のほうがいきいきしている。ある意味究極の引きこもり。
でも現実世界では、洗濯したり掃除したりしてちゃんと生きている。それとは別の話か。意外とやっかいというか面白い。
「神学・政治論」(上・下 スピノザ著 吉田量彦訳 光文社古典新訳文庫)をさらに読む。本当に少しづつしか読めない。一日数ページというレベル。
これが書かれた時代は現代とは全く違う世界なのだろうから本当に難しい。現代の我々が科学的な考え方を当たり前として生きているように、宗教の考え方が世界全体を覆っていたのだろう。想像もつかない。
当たり前というのはある種の偏見なのだろう。だけどその偏見を生きている。物事はその中で説明される。
当たり前が違う世界。「(いくら本を読んだって)本当のことなんてわかるわけないんだよ。だけど読むことで何が出てくるのか見てみようじゃないか」くらいの姿勢で臨むのがいいのか。
相手の言うことが”わかる”なんていくらなんでも都合がよすぎる考え方だったかも。
相手のことがわかるとか。・・・意外とロマンチストなのかもしれん。あるいはある種の狂気。
そんな感じ。内容以前のところで止まっている。