晴れ。さらに寒い。
今年は久しぶりに本格的な冬だ。
また思い出す。大学時代のこと。
一般教養課程でとっていた哲学の授業中、先生はこう言った。
「いつまでも道具を磨いていないで、ちゃんとコースに出なさい」
その言葉を、勉強も大事だが社会経験も大事だ、という程度の意味として受け取った。
なるほど、と思う反面、そうかな? とも思った。おれ、ここに勉強しに来ているんだし。
今思うと、実はなるほど、よりも、そうかな? のほうが重要だった。
なるほど、は何も考えていない、というか、自身の心に響いていないことが多かった。そして聞いたことを右の耳から左の耳へ抜けるようにすぐに忘れてしまう。
他人の言ったことを、さんざんなるほど、素晴らしいとかなんとかいっていて、何にも理解していない人がまわりにたくさんいた。
そういうのは会話の潤滑油としてはいいのかもしれないが、大学でやることではない。
大学を卒業して思ったことは、言葉にすれば単純だが、実際の人生はもっと複雑だ、ということだ。道具磨きにだって作法や段階があるし、実践と準備は複雑にからまりあっている。
今当時の発言を思い返してみる。先生も何か実体験で感じたことがあったのかもしれない。
先生の父親は高名な哲学者だったそうだ。高名な親の子どもとして生きるということ。(訂正:先生の父親は哲学者ではなく社会学者でした)
父親の存在を感じながら勉強に没頭した結果、実生活がないがしろになった部分があったのではないか。それがあの発言に繋がったのかも。
子どもというのは親の影響をもろに受ける。それは避けられない。血の問題。
前の世代の良いことも悪いことも有無を言わせずに受け継ぐことになる。
親の世代で解消できなかった問題は子どもに受け継がれる。それはまだ未熟な子どもにとってはかなりきついことだ。
その問題にどこかで向き合わなくてはいけない。そうしないと生きていけない。問題のない家庭はそんなことをする必要はないのかもしれないけれども。
やや脱線気味だけれども、そんなことを思った。哲学が何だかはいまだによくわからないけれども、発言の背景にいる人間のことはわかった(ような気がする)。