本日2つめ。
まず日々のことを書いて吐き出してしまわないと自分のことは書けないようだ。
夜中に目が覚めて考える。
”安全な場所でゆっくりと休みたい”
これは子どものころの切なる願いだった。
この願いは今ですら一番必要なもの。まったく変わってない。
本を読んだりあれこれジタバタして今ごろになってそのことに気づく。まったくなんでだよ。
この切実な欲求がかなわないと先に進めなさそうだ。誰かもそんなこと言ってたような。マズローだったか。
子ども時代はまわりにいろいろなものがありすぎた。家族を助けてもらった人に脅されていたりした。あまりに複雑すぎて状況をどうとらえていいのかわからなかった。
大人ですらそうだろう。助けてもらっているのだから、我慢しなさい・我慢しなきゃ、とかになりそうだ。うちの親はその発想だった。・・・だけど、お前はどうなんだ? という話だけにしぼったらどうか。そこでやっと気づいた。
自分自身が出てこない話や理屈は意味がない。とはいえ複雑で不安定すぎる。自分を出す余地なんてあるのか。
とくに子ども時代はそうだ。身の危険があったら選択肢など存在しない。
そんなことを考えた。気づけて良かったが、まだ先は長そうだ。