晴れたり曇ったり。
1月ほど前から夏の日差しになり、もうすっかり夏だ、と思っていた。
けれども今の日差しはさらにパワーを増し、肌が痛いほどの暴力的な強さになっている。
夏ってこんなんだったっけ?
たぶん毎年そう思っている。でも今年は身体が弱っているのか、季節の変化をもろに受けている。
思ったこと
父が何か言いたそうだ。
聞いてみるが、まったく要領を得ない。混乱する。
さらに聞くと母親にこう言えと言われたらしい。それで意味不明になっているのか。自分ではまったくわからないか、どうでもいいことを言わされている。
それでこちらも混乱する。うちでは昔からよくあった。
母親の言うことを何でも聞いてしまう。母親の後ろには教団がいることも多かった。それでうちの中がめちゃくちゃになった。
父親の後ろにいる母親(の後ろにいる教団)。それを感じとって子ども時代の私は混乱したのだと今思う。
言葉の世界なのに""後ろ"という空間を表す言葉が使われていて面白い。
間が大事、とか、懐が深い、とか空間で表される言葉は、一言では説明しづらい複雑なものを表現している。
その複雑なものを理解できるのが大人だと思う。
どんな状況で使われても、言葉はまったく同じ意味がある、というわけではなかった。
そこに気づかなかったから、母親の入信している教団にめちゃくちゃにされたのだ。立派なことを言うけれども何故かひどい目に遭わされる。
言っている言葉だけでなく、相手のしていること、態度、声音、表情、所属している団体、文章や活動の文脈、それらすべてから意味はできあがっていた。
言葉だけを見てしまうと物事を見誤る。
そういうことだった。
自分はかなりしんどい状況にいる。まわりには、自分の発言内容を理解しないでしゃべっている人間が多いし、(自分ではまったくそう思っていなくても平気でしゃべる)、言動の責任を取る気もない。
自分のしんどさがある程度理解できた。
父が言ったことから推測するに、母は私がスマホの通知音を切ってくれ、と言ったのが、よほど勘にさわったらしい。
食事時だろうとなんだろうと、通知音が頻繁に鳴って煩くてたまらないので、注意した。
しかもややこしいのは、コンタクトしてくるのが教団信者ばかりだということ。それで母は注意されたことを自分たちが攻撃されたと思っている。
面倒な話だ。もうやめる。性格悪くなりそうだし。・・・なりそう? やや手遅れでは? 今のことだけ気にすればいいんだよ。
今回のまとめは、言葉や意味の世界にも空間の広がりがあって、それがわかるようになることが賢くなることや大人になることと関係があるらしい。
そういうことか。学校でこんなこと習わなかったな。