朝からすさまじい暑さ。
朝のうちに家事を済ます。
夏バテはまだきていないが、肌が日焼けとあせもで、けっこうひどいことになっている。
何年か前にリサイクルショップで中古のゲーム機を購入した。
それを引っ張り出してきてやってみる。
最近のゲームは複雑すぎだ。ファミコン世代の自分はビックリだ。
コントローラ(今はゲームパッドというのか)のボタンの数。10以上あるじゃないか。
覚えるのが大変。しかもゲームを進めるうちに新しい操作がさらに増えてくる。
いつまでもチュートリアルが終わらない感じだ。へたしたら操作を覚える前にゲームクリアになってしまう。
どうすればいいんだろう。とりあえず、ゲームのストーリーを進めないでその場で周回することにした。
とてもいい。操作は覚えられるし、レベルも上がって、自分みたいな下手くそでも楽にゲームを進められるようになる。
覚えられるまで何度でもやり直せる・繰り返せる幸せを感じた。
学校の勉強ではこうはいかなかった。悲しいことだが。
学校ではカリキュラムの進行具合をこちらからコントロールできない。強制スクロールだ。それ以前に学校そのものが苦手だった。
それにしても、この歳になってゲームをして、それで新しい発見があるとは思わなかった。
ゲームにしろアニメにしろ、子どもの頃親しんでいたものは、本人の血や骨になっている。そしてそれは一生ついてまわる。
そういうことらしい。私はアニメのほうはほとんどわからないけれど。
また例の事件について考える。
政治家の発言をテレビで観る。あの人たちは私人と公人の区別をあまりしていないように思われる。
政治家として発言している時は公人なのだから、自分はこう思った、とかそういう個人の感情や損得の話だけしていればいいわけではない。
役割や立場、行動があたえる影響を考えなければいけない。
それができないと、本当にこの人で大丈夫なのだろうかと、聞いている方が不安になってしまう。
マスコミが私人の部分を叩きすぎたことも関係しているのだろうか。
そんなことを思った。