korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

記録を残すのは組織の義務らしい。そうでないと責任を一個人が背負わなければいけなくなる

 本日2投稿目。

 

 映画を観ようと動画サイトで探す。(U-NEXT)

 

 カルトのドキュメンタリーを観てしまい、気分が晴れない。なので明るいものがいいな。

 

 

 「ゆきゆきて、神軍」(原一男監督)を観始める。

 

 つらい、しんどい。どうしてさらにつらいものを選ぶんだ。

 

 内容は第2次世界大戦中に行われた上官による部下の虐殺行為を糾弾する、元兵士の話。

 

 つらくて途中でやめる。違和感だらけだ。

 

 なんだこりゃ、の連続だった。その違和感をうまく説明できそうもない。

 

 違和感の一つは、何で外側から糾弾するんだ、ということだ。

 

 主人公の元兵士は事件の上官のところに行って糾弾する。馬乗りになって殴りさえする。

 

 それを見て思う。

 

 この主人公だって戦争に行っている。だから、戦場がどういうところなのかわかっているはずだ。

 

 なのに何故戦争とは無関係な第三者みたいなていで糾弾するのか。

 

 義憤にかられる気持ちはわかるけれども、自分はこっち側にいて、上官だけ戦場に引きずり戻すのか。

 

 これは自分の個人的な見解です。相当特異な意見なのかもしれない。

 

 でも、自分はそこに違和感を感じた。

 

 

 こういうことが起きる原因の一つは、公式な記録が出てこないことにあるのではないだろうか。

 

 公式な記録があるのかないのかわからないけれども、それがあればそれとつき合わせて、あくまでも、軍がやったこととして、お互い客観的に点検ができるのではないか。

 

 それができないから、軍がしたことを個人に責任を負わせる形で"やった・やらない"、と揉めるのではないか。

 

 戦争なんてばかでかい出来事は、本来個人同士で揉めるべきことではない。

 

 本来責任を負わなければいけないものが責任を負わないことで起きた揉め事。

 

 

 本来責任を負わなければいけないのは組織だった。

 

 となると組織は参照するための記録を残すのが義務だ。

 

 

 そう思った。

 

 観ていてつらいけれども、こういったことを真面目に考えさせるということは、この作品はすぐれたドキュメンタリーということなのかもしれない。