晴れ。
いい天気。
昼間は相変わらず暑い。
夢を見た
朝方。バスに乗っている。大学に向かっているのか。電車は止まってしまったらしい。
バスは海沿いを走る。前の席には昔の知り合いの女性。なぜか声をかけてはいけない気がする。
運転手は初老の男性だ。運転が雑。交差点で曲がり損ねてスピンする。
運転手はどうやら乗客の男性ともめている。それが運転が雑な原因のひとつのようだ。
乗客の男性は定期券をちゃんと見せていない。それで運転手から疑われている。
私は男性にそう言う。男性の定期券を見る。女性の名前だ。名字がレイゼイって”ええとこ”の人だろうか。
どうやら娘の定期券で乗車したみたいだ。この男性はずっと外国暮らしで、日本には滅多に帰ってこないので、定期なんて馬鹿馬鹿しいらしい。
海外勤務なんて、結構いい給料もらっているはずなのに、ケチだなあと思う。
途中のバス停で降りる。女性が二人一緒にいる。
女性に、今度の英語のテスト30点くらいとれないかな(全く勉強していないけれど)、と言う。
女性はあきれた表情をする。実際にとれるのは3点くらいだろうか。
専攻科目でないのでどうでもいい気もするが、やや後ろめたい。
駅に着く。とりあえず食事を取ろうと思う。(終わり)
思ったこと
目が覚める。また学校の夢だ。やはり、もう切羽詰まった感じはない。
学校。学校で習うのではなく、先生に習うのだった。そこを勘違いしていた。
やはりものを習うのは集団でではなくて1対1でだ。
問題は学校が・進路が、ということではなくて、学生時代に師が見つからなかった。ということだろうか。
人頼み、というか、人は大事だ。
ブログを書いてこれまでのことがだいぶん整理されてきた。
結果、自分やうちの中はすでに修復不可能なくらいメチャクチャになっていることがわかった。
少しの間凹んだが気づく。
確かにできないことや禁じ手が多すぎる。
でも、ゲームや本が好きな、ただのおっさんであること、そこは否定されていない。それはやればいい。
シンプルでいいな。
どちらかというと、ゲームや本は”おまけ”で、「やらなくて済むなら、なくなったほうがいいこと」、くらいに思ってきた。
これは母の入信していた教団の影響だろうか。彼らは余計な情報を極力入れないようにしている。それは布教の邪魔になるからだ。
だけど、ゲームや本、というか「自分にとって大事だと思うもの」、これは”おまけ”なんかじゃなかった。
人生の軸になるレベルの重要なものだった。
おっさんになっても、ゲームをしている人。子どもの頃は”それはない”と思っていたな。
大人ってもっと立派でしっかりと自分のビジョンを持っているものだと思っていた。
そんなことはなかった。おっさんになってもまだ、オロオロしている。