korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

最近のこと。やっぱり忙しいのは罪だった。いまだに勉強がわからない

 晴れ。

 

 普通に寒い。

 

 というかやっと通常の寒さがやってきた。

 

 

 朝起きて着替え、朝食をとる。風呂の掃除をして洗濯。部屋に掃除機をかける。ここまでを1時間でやった。我ながら手際が良くなったと思う。

 

 少し休む。日の光が心地よい。官能。そんな歳になったのか。というよりも、自分がこういう体験ができるようになるなんて思いもよらなかった。

 

 相変わらず夢の中では学校をさまよっている。そういうぼんやりとした記憶がある。まるで同じ場所や時間をループするゲームのようだ。ループしながら少しずつ変化がある。

 

 

 最近読んだ本のことを思う。

 

 「教養としてのラテン語の授業 古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流」(ハン・ドンイル著 本村凌二監訳 岡崎暢子訳 ダイヤモンド社

 

 著者はバチカンの裁判所で弁護士をしている。私にとっては未知の世界の人だ。そんなものがあるなんてはじめて知った。

 

 

 語学書とか苦手。単語や文法の羅列を読むのは苦痛。だがこの本は違った。これこそが教養だと思った。うまく言えないけれど。

 

 大学時代にこういう授業を受けたかった。学生時代は忙しすぎて何がしたいかなんて考える暇がなかった。本末転倒だ。

 

 この著者の母国の韓国もそうらしい。学生が忙しすぎて考える暇がない。受験の厳しさは日本と変わらないのか。いや日本以上のようだ。著者はそういう状況に置かれた若者のことを心配している。

 

 しかし、若者のことを考えると、明日のために今日を犠牲にして生きていく姿勢だけが正解なのだろうかという疑問も生じます。わが国の社会は、あまりにも大きなものを若者に要求しています。今の韓国社会は、若者に対し、今しか味わえない楽しみや快適さを諦めさせるどころか、青春そのものを犠牲にしろと強要しているようです。

 また、子どもをはじめ若い世代が望む「明日」が、近視眼的なのも考えものです。多くの子どもは入試という明日を見つめ、青年たちは就職という未来を見つめている。学力だけ見れば世界最高水準にある韓国の子どもたちが、大学生になると他国の学生に比べて目に見えて遅れだします。

(150~151ページ)

 

  Carpe diem(今日を楽しめ)という言葉について説明するのにこんな話になる。言葉が生きている。

 

 こういうことをちゃんと言えるのが”大人”だよな。こういうのがまともっていうんだと思う。

 

 

 まったく学ぶってどういうことなのだろう。いまだによくわからない。いつもそこに引っかかっている。

 

 

 そんなことを感じた。これくらいで休んで食事にする。