曇り。
もう室内まで花粉まみれ。
部屋の中にいてもむずむずする。
空気清浄機をかけてもこれか。
YouTubeをダラダラ観る。アニメのベテラン声優さん(*)の声を聞くと何故か落ち着く。
*:榊原良子さんなど
私は熱心にアニメを見るほうではないのだがそれでも影響がある。
懐かしい気分にすらなる。どういうことだろう。
子どもの頃の環境にあった音だからではないか。熱心に観ていなくてもどこかで、何かの形で頻繁に耳に入ってきていいる。
ラジオの野球中継や大相撲中継の音もそうだ。
甲子園の高校野球中継の音もそう。番組が始まってすぐ、アナウンサーが何もしゃべってない間に流れる球場のざわつき。
それを聞いただけでも、ああこの季節がまた来たんだ、と特別な気持ちになる。
昭和生まれのおっさんにとって、これらの音は特別な気持ちにさせられる。野球ファンでも大相撲ファンでもない。でもどこかで必ずこれが流れていた。
自宅で父が聞いていた。街中でも流れていた。少し前までは駅の立ち食い蕎麦屋でも流れていた。
最近立ち食い蕎麦屋はほとんどが大手の傘下に入ってしまい、流れているのはジャズやボサノヴァだったりする。(それいる?)
自分がもう少し前に生まれていたら、プロレス中継の音もこれに当てはまったかもしれない。
小さい頃・成長期に聞いた音は確実に身体にしみついている。血や骨のレベルで影響を与えている。だからそれらの音を聴くと身体の深い部分から反応が返ってくる。
そんなことを感じた。
また考える。家庭内の問題。
「あなたのお母さんは宗教関係なくてもかなり問題がある」
以前お世話になったカウンセラーに言われた。
今思う。そういえば母は結構平気で嘘をつく。そして謝らない。
今になってやっとその事に気づいた。何十年もかかった。トラブルになっても、そんなことはない、と心の深い部分でずっとそう思ってきた。
子どもの頃の影響は本当に深く強い。だから問題があった場合気づくのに本当に苦労する。
自分の血や骨になってしまっていることだからだ。ある意味自分はそれでできている。
だからなんとかしようとしたら、自分の心をメスで切り開かないといけない。問題がない人間はそんなことする必要もないし、問題がない人間がそんなことをやったら狂気の沙汰だ。
戦略的な嘘・自己欺瞞。そんな言葉が浮かんだ。母の元々の性質を母が入信している宗教団体の布教のためのノウハウが強化してしまったのか。
立派な言葉を使うことで相手だけでなく自分自身(の本来の動機)もだませる。
ごまかしているだけなのに、立派なことをしているような気分になる。
他人の心を操ろうなんて本当に狂気だ。最近は宗教の他にヨガや瞑想、自己啓発セミナーなども盛んだけれど、自分や他人の心を操ろうなんて本来はしてはいけないことだった。
人権がどうとかいう以前に、そんなことをしたら何が起きるかわからない。
毒親の問題もそういうことなのだろうか。