korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

高校野球の季節になって思い出す。高校時代の自分のありかた。心や身体にも守るべき厳格なルールというものがある(そしてそれはひとりひとり違う)

 晴れ。

 

 肌寒いがもう完全に春。

 

 

 高校野球が始まった。そういう季節。

 

 もうすぐ新学期だ。

 

 おっさんになってしまった自分は少し当時のことを思い出してみる。

 

 新学期というか高校に入学したばかりの頃のこと。

 

 ダルい、というか皆ダルそうにしていた。

 

 季節的なものもあるだろうが、自分の進んだ高校は、名門進学校の滑り止めとして受験する人間が多かった。

 

 なのでここに来ている人間は受験に失敗した人間も多かった。

 

 まわりの人間はまだそのショックを引きずっていたのかもしれない。

 

 自分はといえば更にひどかった。ひどかった、とは今だから言えることで、当時はその自覚はなかった。

 

 この学校に来たかった、というより、ただ自分のレベルでいけるという理由だけでその学校に来ただけだ。

 

 今から思えば、何がしたい、という意識が何もなかった。というか進学していいのかすらわからなかった。

 

 そこまで母や母の入信していた宗教団体の意向が染み付いていた。彼らの都合以外のものは無意味という教育方針。

 

 ここへ進むという合理的な考え以前に、こうしたいという自分の意欲。それが大事だった。今になってやっとわかった。

 

 概念としてそういうものがあるとは知っていたし、皆にあるのだったら自分にも当然それがあると思っていた。

 

 ただ変な話だが、同時に自分の中にそんな物があるとは思わなかった。そこでまわりと齟齬ができていたようだ。話が噛み合わなかったり、怪訝な顔をされた。

 

 何らかのテンプレートに完全に同化して行動したり話したりしていた。

 

 まわりどころか、自分とも齟齬ができていたようだ。それが幻聴や過敏性大腸などの身体の不調となってあらわれた。

 

 

 本当にこれは今だから言えることだ。

 

 

 もしかしたら、他の皆も誰かの規格や考え方にがんじがらめになっていたのかもしれない。当時は受験戦争がすべての時代で、今と違ってネットで情報を得ることができなかった。

 

 それで所在なさげでダルそうにしていたのでは。

 

 と今思えば彼らとははるかに遠い世界にいた自分が思ってみる。

 

 つい最近まで、彼らとはまったく違う世界を生きていたことに、気づくことすらなかった。

 

 そういうおそろしさ。浦島太郎のようだ。我に返ってみたら、すでにいい齢した白髪まじりのおっさんだった。

 

 

 

 今になってわかったこと:進路などを決めるときには、合理的な考えだけでなく、その人の身体や心に合ったものでなければいけない。そちら側にも厳格な約束事というものがある。

 

 それがわからないと、その無理が心身の不調となってあらわれてくる。それで生活できなくなる。

 

 どうやらそういうことらしい。

 

 社会だけでなく心身のほうにもルールが存在する、ということ。そしてそのルールはひとりひとり違う。

 

 いくら立派に聞こえる理由や理屈でも、それらを無視しては生を全うできない。

 

  (と言うことは、母親と母親の入信していた団体は、個人の心や身体の都合を徹底的に無視しているということだろうか)

 

 

 毒親や宗教団体の問題だけでなく、詰め込み教育などの学校の問題もそういう面があるのかもしれない。

 

 規格や理屈の縛りが不条理・きつすぎる。害をなすレベル。

 

 

 

 

 

 心身のほうにも、社会の在りかたと同じように、病気や障害など不都合なものが存在する。そちらも無視しては生きることはできない。

 

 こちらは個人的なものなので余計に厄介だ。人間はすべて病気になる、という意味では一般的だけど。

 

 

 

 そんなことを思った。それにしても野球は変な競技だ。攻撃側と守備側が完全に分かれている。ターン制のRPGみたいだ。

 

 若い頃はそんなこと思ってもみなかった。当時は今よりも野球人気があった、というか当たり前のように生活に野球が組み込まれていた。

 

 だから誰かに教えられなくても、ある程度のルールは自然に覚えた。(インフィールドフライや振り逃げレベルになると怪しい)

 

 時々何でも野球にたとえて話すおっさんがいるのはそのせいだ。

 

 そうか、環境にあるものは自然に身についてしまう。”自然”なので逆らえない。

 

 若い頃の環境は身になってしまう。だから人生に多大な影響を与える。それには逆らえない。できたとしても、カウンターをあてる、という逆らいかたしかできない。

 

 でも野球は毒親や一部の宗教団体と違って人生を破壊したりしない。だからいいのか。