雨からの晴れ。
今度こそ梅雨入りか。
梅雨なのにメリハリのある天気。
明け方トイレに起きる。
父が玄関あたりでウロウロしている。
・・・いよいよか、なんて思ったが、聞いてみるとトイレの順番待ちとのこと。
母がトイレに入っていた。何で3人同じタイミングなんだよ。とにかくホッとした。
ここのところややメンタルの調子が悪い。
それでバイオハザードをプレイする。
“バイオセラピー”なんて言葉が浮かんだが、そんなに爽やかなものじゃない。
ゾンビに遊んでもらっているのか? 難易度低めでやりたい放題しているし。
接待かも。ゾンビに接待されている。ゾンビが「チッ、しかたねーな」とか思いながら倒れている?
プレイしながら思い出す。子ども時代のこと。
子どもの頃はまわりに信者しかいなかったので常に警戒心MAXだった。
もしかしたらその態度のせいでまわりの“普通の”友人たちとうまくいかなかったかもしれないな。嫌なやつと思われていた。
常に警戒しまわりを疑ってかかっていた。他の友人はもっと素朴に“子どもらしく”まわりを疑うことなく行動していた。
ある時なんか友人と揉めて「お前(だけ)は許さない」と言われたことがある。
本当に困った。どうしろっていうんだよ。
母や信者相手の場合。何か困ったことが起きて迷惑を被っても、それが相手の理屈に合わなかった場合には謝られるどころかこっちのせいにされてしまう。だから全力で警戒していた。
その態度が世の中とはうまくいかない原因になっていた。
でももう少しのびのびできても良かったのでは。子どもだし。・・・姉の存在があった。姉は重度の知的障害を持っていた。子どもながらに彼女を守らなければと思ったわけか。それで気を使うレベルが格段に上がった。
本当にしんどいな。彼らといてもいいことないじゃん。
そんなことを思い出した。記憶の整理。これがちゃんとできないと動けない。なかなかしんどい、というか悲しい。自分のひどさ。彼らの影響。
宗教関係者の人たち。「宗教には破壊的な面もある」、みたいなことをしたり顔で言わないでほしい。確かにそうなのかもしれないが、こんな問題が起きている時にそのコメントをしないでくれ。彼らのやっていることが半ば正当化されてしまう。
マスコミにそういうコメントを求められているのか。専門家のフワッとした意見が怖い。責任って何ですかね、と思う。