korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

散歩はよい

 明け方目を覚ます寒さ。

 

 いつも見た夢を書いているが、ここのところ大量に見すぎて書ききれない。しかも結構怖い。スピ的なことを書いたことと関係があるのだろうか。

 

 夢を書くなんて変わったブログだな。今気づいた。

 

 

 

 買い出しに行く。川沿いを歩く。歩いているといろんな人とすれ違う。老夫婦。通勤途中の男性。ベビーカーを押した女性。

 

 会話も様々。自分が知らない人生があることがわかってとても楽だ。

 

 ネットだとどうしても似たような情報しか集まってこないので、いつのまにか気持ちが煮え煮えになっている。それがほどけていい。自分の問題など世界のほんの一部に過ぎない。

 

 

 大きな公園に来る。霜柱があるので踏む。こういうこと最近してないな。というか何十年もしてない。霜柱を踏んだり、積もっている落ち葉を蹴りあげたり。こういうどうでもいいことは大事だ。

 

 柴犬と遊んでいる女性がいる。まわりに誰もいないので大丈夫だと思う。

 

 こういうことはケースバイケースでその場の問題だと思う。でも、ネットではその場にいないひとまで議論に加わり全部同じにしてしまう。それで、その場と関係ないことまで発言した人間の責任にしたりする。それでどんどん窮屈になる。

 

 ・・・犬見て暗い気持ちになるなよ。

 

 

 

 駅まで来る。散歩している園児が階段を上っている。彼らにとっては駅の階段がとてつもないチャレンジなのだな。なぜかアイガー北壁などというワードが浮かぶ。大袈裟だけど子どもにとってはこの世界は得たいの知れないものだと思う。

 

 かつては自分もそうだったはずだ。もう忘れてしまった。老人になったら、なかば強制的にそれを思い出すのだろうか。

 

 

 そんなことを思った。散歩で何か大事なことを思い出した。

思い出せば思い出すほどひどい。考えるというのは過去と向き合うことなのか。起きたことはなかったことにはできない

 寒い。が、慣れてきた。気候も安定している。

 

 この後に花粉が来るのか。それが憂鬱。花粉症の薬も買いにくくなる(保険対象外、つまり高額になる?)可能性もあるみたいだし。ただでさえキツいのに追い打ちをかけるようなことはやめてくれ。経済効率なんて言ったら、人間の存在そのものが効率悪いのだから、そこ(だけ)を追求するのはやめてほしい。自○行為だ。というか本末転倒では。

 

 

 考える。ひどく個人的なこと。前回のブログで自分はスピリチュアルと意外と親和性があるのではないか、と書いた。

 

 でもスピはキツい。自分が「ムー」のような(これはスピというよりオカルト系か)ものを読むと、引っ張られる。夢でうなされる。不安が出てくる。ホラーゲームをやった時と同じような感じになる。

 

 メンタルが弱い。などと思っていたが、どうもそれだけではなさそう。(それに怖いのは普通だと思う)

 

 

 自分は子どもの頃母が入信していた宗教団体に通っていた。すぐにやめたけれどその影響は凄まじかった。

 

 彼らも「オカルトは良くない」などと言っていたが、今よく考えてみたらあの団体もそれに分類されてもおかしくなかった。

 

 すぐに悪霊などというし、信じないとハルマゲドンで滅ぼされるなどと子どもに言っていた。子どもに暴力も振るった。

 

 酷い話だ。だけど子どもにはそれが区別できない。

 

 オカルトの話はそれらのことを思い出させた。暴力の記憶。それでフラッシュバックが起きていたのではないか。

 

 ただの話ではなく、実際の脅威としてそこにあった。そのことを今まで忘れてしまっていた。というかそこがつながらなかった。

 

 

 立派な理屈があっても、よく考えてみたらただの暴力だった。ということがあるらしい。正当化のための立派な理屈。言い訳。

 

 

 自分の中からそういうものが出てきた。自分の経験をちゃんと腑分けしないといけない。記憶を手放すのではなくて、ちゃんと噛み砕いて消化しないといけない。起きたことはなかったことにはできない。

 

 スピやオカルトと暴力は違う、という話か。それで自分の中のダメージと向き合えた。オカルトの怖さと自分が昔受けた暴力の恐怖を混同していた。それが今回のまとめか。オカルトというよりカルトかも。子ども時代の経験の影響は根深くずっと続く。そして気づくことが困難。

 

 

 

 こんな感じのブログですが、本年もよろしくお願いします。

 

 今年の目標? 何だろう。

 

 ”どこに行きたいのかわからないのに走ってもしかたがない”

 

 という海外の諺があるらしい。そんな気持ちだ。というか、ずっとそんな感じで生きている。亡くなる間際もそう言っていそうだ。ずっと迷子だろうか。

意外とスピリチュアルに親和性があったのかもしれない。それも自分の一部

 寒いが昨日にくらべれば暖か。日差しが気持ちいい。

 

 

 

     夢を見た

 どこかの事務所にいる。コピーを取っている。コピー機は変な形状でスキャナーのような形をしている。用紙のサイズもバラバラだ。

 

 何をしたらいいのかわからないが、とにかくコピーする。

 

 「遅いな。とにかく終わったのからよこせ」と言われる。(終わり)

 

 

 

     思ったこと

 目が覚める。やり方と設備に不満がある。けれど、その場にいたら何とかするしかない。文句はその後で。

 

 

 ふとしたことからスピ系の動画を観る。自分が観ていたのは”こうしなければひどい目に遭う”という話や金儲けなどに関するものではなく、ひたすら真面目に?面白がっているような動画。

 

 観ていて自分の感覚に驚いたが、ものすごく楽。身体がリラックスしている。

 

 不思議なものだ。どういうことか考えているうちに子ども時代を思い出した。

 

 あの頃はおかしな体験をした。夜夢うつつの状態で、大きな透明のボールに乗っていたり、大量のGがまわりにいたり。それで怯えた。それが現実なのか夢なのかわからなかった。親を起こそうとしても起きなかったし。

 

 UFOのようなものも見た。他にも友だちがしゃべっている内容を過去に聞いたことがあると思い、そう言ったら、はじめてだったらしく気分を害されたこともあった。

 

 

 それが特別なのか何なのかわからないけれど、自分の中のその部分をずっと無視してきた。

 

 意味がわからないし、何よりオカルトやそういうものは怖い。そしてそういう人たちは人生が常に体当たりでつらそうだ。むき出しの何かに直にぶつかっていっている。それで苦しんでボロボロになっている。イメージとしてはイタコの人とか。

 

 そういう人は生きづらそう。ずっとそう思ってきた。だけど彼らは生身で”今ここ”と対峙している。その分迷いがない。

 

 まさかそんなことを自分が思うようになるとは思わなかった。とにかく常識の中で予測できることで計画を立てて行動する。進路もそうやって決めていた。

 

 今思うことは、そうやって何かを予めわかっていることとして捉えて計画するとかえって惑う、ということだ。

 

 ライブ感がない。目の前で「こういうのはどうですか」「それはいい、そっちに行こう」「いや、それはやめておきます」というようなやり取りで決まるようなこと。それを縁というのだろうか。そういうもので決めればよかったのかもしれない。

 

 予め正解があって自分はそれを知っている。という傲慢。偏差値はこれくらいだから行ける学校はここ、というように進路を決めてしまうこと。

 

 自分がやりたいことは何だ? それがわからなくなっていた。

 

 スピ系の彼らにはそのあたりの傲慢さがないから生き生きとして見えたのかもしれない。というか、むしろそういう路線から弾き出されてしまって、仕方なくジタバタもがいた結果スピリチュアルにきた人も多いようだ。

 

 

 そんなことを思った。動画に出ていた人は暗さはなくとても明るかった。そういう界隈の中でも健全な人なのかもしれない。

 

 人間の都合だけでなくもっと大きな世界を生きること。もちろん人の都合も大事だけれど。人の都合だけだったらものすごく問題があるように見えても、それでもとにかく生きてこの世界に存在している。その不思議さ。

 

 

 自分の中にそういうものがあったことをずっと忘れてしまっていた。あるいは知っていたけれど”些細なこと”として退けていたのかもしれない。それは決して些細ではなかったようだ。自分の中の無視できない要素。

 

 そういえば昔もUFOや宇宙人の話を聞いているとき、それを当然のこととして聞いていた。そういう話はとても楽だった。

 

 自分の中のそういう部分ともちゃんと和解?する必要があったのかもしれない。と言っても過度に重視する必要はなくて、自分の中の都合の悪そうな部分もちゃんとケアしろ、ということ。それも自分だから。

 

 書いていて自分でも胡散臭く思っているけれどそんなことを思った。自分を知る。

 

 とても不器用に見える。世の中の正解が役に立たない。むしろ有害になってしまう。だから一人であがくしかないのだろうか。"何とか"なんてなるのか?

 

 

 今年のブログはこれで終了。今年はかなりいろんなことがあった。コロナにもかかって久々に高熱を出したし。

 

 

 そんなわけでまた来年。

 

 今年もお疲れ。とりあえず、コーラでも飲もう。身体に悪いと敬遠してたけれどたまにはいいか。メスカリンやペヨーテなどの幻覚性のあるものに神様がいるのなら、コーラやエナジードリンクにも神様はいるのだろうか。ふと思った。

 

 いるのかもしれないな。だったら乱用?はよくない。敬意を持って飲む。

選択肢なんてあったのかね

 寒さにも慣れてきた。

 

 

 買い出しに行く。冬の日という言葉がぴったりの気候。

 

 

 川沿いを歩く。公園では何かのサークルが準備運動をしている。

 

 "大人の部活動"と言った感じ。自分は若者の部活動すらしたことがないが、遠目に見ているこちらも楽しい。そういう適切な距離感。

 

 

 自分の若者時代を思い出す。これまで散々しつこく書いてきた。

 

 おかげでだいぶん整理ができた。面白いことに書き続けると感情の整理ができる。記憶が肚に落ちる。

 

 これまでああすればよかったのに、こうすればよかったのに、などと思ってきたが、それが少なくなった。

 

 仕方がない、まではいかないが、当時の自分が必死だったことはわかった。そもそも選択肢などあったのか。

 

 誇りに思うような人生があったわけではないが、気にすることが少なくなった。

 

 

 さらに歩く。良い風景。曇り空から光が漏れている。

 

 写真を撮ろうか。いや、撮らずにとにかく見続ける。

 

 ブログにあげるためでなく自分のために撮ればいいのに。あとから思い返すために。そうも思った。

 

 

 駅まで来る。買い物をする。喫茶店で休憩。

 

 コーヒーや酒を飲んで能書きをたれるぐらいの余裕がほしい、そう思った。

大掃除。昔を思い出す。自分を作った何か

 明け方寒さで目が覚める。本当に冬らしい冬だ。

 

 

 年末なので大掃除の真似事のようなものをする。本格的なものではない。

 

 夏にコロナにかかってからすぐに疲れるようになった。それでできる範囲を少しだけやる。

 

 

 用意をしていると母が芸能ゴシップをベラベラと話す。母はこういうのが大好きだ。

 

 他人の噂話よりも目の前の油汚れだよ。

 

 

 換気扇の掃除。汚れがこびりついて元からこういうデザインだったのではと思わせる。無理やり取ると元のコーティングまでボロボロになりそうなので適当にやる。

 

 いくら落としてもキリがない。どこまでいっても油汚れだらけだ。"分け入っても分け入っても青い山"という山頭火の俳句をなぜか思い出す。大学時代に彼の日記を読んだ。

 

 なぜ彼の日記を読み通したのだろう。若さなのか彼の生き様に響くものがあったのか。大学時代だから読めたんだな。内容はほぼ忘れてしまった。

 

 多分今の自分はそういうものでできているのだと思う。忘れてしまった過去の何か。

 

 

 種田山頭火岡本かの子、カルロス・カスタネダなど。そういうもの。他にも岡崎京子近藤ようこ、山田紫、干刈あがた杉浦日向子などなど。

 

 当時読んだものが想像以上に自分を作っているのではないか。読んだあと思い出すこともなかったけれど。

 

 

 

 そんなことを思った。適当に終わらせて換気扇にカバーをつける。最近はカバーも値上がりしてデザインも安っぽくなった。

 

 ・・・あれ? 取り付ける磁石はどこだ。磁石は前のやつを取り外してつけるらしい。2枚セットに磁石は1枚分しかない。

 

 

 まあ、いいんだけど。ここまで来たのか、という気もする。

 

 

 掃除終了。特に何のオチも教訓もない話。