korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。

記憶がマイルドになったりずっと続いてたり

 晴れ。

 

 いきなりフルパワーで来るな。まだ6月だぞ、と夏に言いたい。

 

 

      

        夢を見た

 父と車に乗っている。車の調子が悪いのか自動車整備工場に来る。

 

 工場には先客がいて順番待ちになる。先客は海外製のスポーツカーを持ち込んでいる。

 

 そのスポーツカーを小さな子どもが素手で押している。工場の敷地は坂になっている。隣には父親らしい男性。

 

 整理券なのか長細い紙を持っている。さっきの男性も持っていてこれは何か?と聞いてくる。

 

 おとなしく並んで待つことにする。

 

 

 場面が変わって部屋の中に母親がいる。母方の祖母がいて彼女が工場主ということになっている。

 

 祖母は何かの宗教に入っていてそこに私が入信したら修理してくれるという話になってしまう。

 

 母は喜ぶ。何かの儀式が始まる。手を合わせろ、と言われたが私は無視して印を結ぶ。

 

 儀式が終わる。自分は入信する気がまったくないことに改めて気づいたので、祖母にそう言う。

 

 私は、あんたがこんなに胡散臭い人間だと思わなかった、と言って祖母を抱きしめる。特に恨む気にはなれない。むしろすがすがしいくらいだ。

 

 母は、自宅に帰って何とかしますから、と祖母に言い、帰る。

 

 出口には靴を履こうとしている女性がいる。女性の着けているエプロンの紐がテーブルに引っかかって動けなくなっている。私は引っかかっている部分を外す。

 

 外に出て歩く。カラフルな民族衣装を着た女性たちがいる。東南アジアの少数民族のようだ。

 

 公園に来る。露店が出ていてかなりの混雑だ。制服を着た夫婦がいて露店で買い物をしている。自衛官だろうか。(終わり)

 

 

 

       思ったこと

 目が覚める。変な夢だ。

 

 思い出す。母方の祖母は母が入信していた教団から母を取り戻そうとして、逆に信者になってしまった。

 

 今思うと本当に恐ろしいことだ。家族、親戚も誰も守ってくれない。誰も勝てない。

 

 祖母が抗議したことは、ことごとく論破されてしまったようだ。だけど思う。

 

 論破されたという事実は、彼らが悪い人間でないという理由にはならない。

 

 ただ言い訳がうまいだけだ。

 

 悪い人に見えないということは、それがそのままいい人である証拠にはならない。

 

 実際にトラブルになっているのに、理屈をいくら言っても無意味だ。

 

 実際にトラブルになっているのに何とも思わないどころか、言い負かしにくる。

 

 完全にアウトの人間じゃないか。と今だから思う。

 

 大事なのは言葉よりも態度や行いだったよ。

 

 

 本当に面倒くさい話だ。

 

 

 思い出せば出すほど悲しくなってくる。

 

 でもその悲しさがだいぶんマイルドになってきた。ブログに書いているせいだろうか。

 

 それで先に進めるのだろうか。忘れることはできない。書き続けるだろう。

 

 

 

 買い出しに行く。暴力的な暑さ。外を歩くのに危険を感じるレベル。

 

 この感覚ははっきりと覚えている。これは忘れていなかった。

 

 

 子連れのお母さんが、何なのこの暑さ、と大きな声で言っている。

 

 食堂の店員がだるそうに接客している。こんな時に威勢のいい接客をしたら逆にけんかになるだろう。猛暑仕様の接客。

 

 

 こんな暑さなのにたくさんの人出。去年とは大違いだ。・・・ゴーストタウンみたいになっていたのはおととしだったっけ。記憶にない。オリンピックがあったの去年だっけ?

 

 年がどうとかいうより、ずっとコロナ騒ぎの途中な気がする。去年もおととしも一緒だ。

 

 自分のものや家族に頼まれたものを買う。自分も家族もこだわりが強く、どれでもいいというわけにいかない。だから結局たくさん歩く。

 

 

 こういう気候では辛いものが食べたい。カレーを買って帰ることにする。

誤魔化さなくてもなんとかなるようになってほしい

 暑い。湿度が高い。

 

 夏が来た、とか呑気なこと言っているレベルでない。

 

 息をするのも苦しい。

 

 

 コロナの感染者数がまた増えてきた。マスクを外していい、と政府は言っているけれど、すぐにまた着けてくれと言い出しそう。

 

 

 店舗ではいまだに、マスク着用しない人間は入店お断りの店も多い。政府が何と言おうが、感染者が出たら商売上がったりだからだろう。

 

 政府の言うことはそんなもんだ、とうすうす感づきはじめた。

 

 各自で判断し始めた。これって自立というのか?

 

 

 とは言っても、個々でできることには限度がある。早く特効薬をなんとかしてほしい。

 

 

 

 オリンピックで使ったお金の話が新聞に載っていた。不明な部分が多すぎるという。

 

 まさか、この報告って、わかんないからフリーハンドでこんだけ使ったことにしよう、といういい加減なものではないよな。

 

 たくさんの人が、適当な理由つけて場当たり的に金引っ張ったせいで、誰も実際どうなっているのか解らない、だから適当な理由をこさえて帳尻を合わせた、だから具体的なことはちょっと、とかそういう話ではないよな。

 

 国家プロジェクトでそれはないと思いたいんだけれど。でもコロナであれだけ迷走しているのを見ると、そういうこともあるんじゃないか、なんて思えてしまう。

 

 

 

 フリーハンドといえば、思い出す。大学の4年生だった頃。

 

 自分は理系の学部で卒業研究をしていた。恥ずかしい話だが、体調が悪く学力もなかったので、教授に泣きついて易しい課題を出してもらった。

 

 それで毎日計器とにらめっこしていた。不思議なことに研究室にはまったく顔を見せないメンバーがいた。

 

 卒研の締め切り間際になって、その彼はやってきた。研究もしないでどうするのか、と思って見ていたら、ほぼ過去の卒業研究をコピペして、挙句の果てに実験データのグラフをフリーハンドで描いた。

 

 皆は呆れた。そして笑った、というか、笑うしかなかった。

 

 でも今思う。アハハ、じゃねーよ、今だったら大問題だ。いや、当時だって大問題だったけど。

 

 彼はそのままそれをゴリ押しして卒業していった。就職先も決まっていたし、教授たちも不満は多々あったと思うが(当たり前だ)、卒業を認めた。

 

 (私もなんとか卒業できた。そしてそれはそれは長い通院生活の始まりだった)

 

 

 そういうのが上に書いた問題とつながっている気がする。

 

 

 思う。

 

 皆が真面目にやらないから、でなく、むしろ、いい加減な人間がいてもまともに動く、システムとして破綻が起きない仕組みを作ったらいいのに、と部外者の素人は思う。

 

 そうしないと俺みたいな人間は居場所ないじゃん。そしてそういう人間はかなりいると思う。

 

 それはズルを認めるというのとはまた別の話だ。

 

 誤魔化さなくてもいいシステムか。

 

 優秀な人間ばかりいないと破綻するシステムではなく、ポンコツでも運用できるシステム。まあ、最低限の良心は必要だと思うけれども。

 

 

 こんなことを考えるなんてやっぱり夏だ。あとで読み返して頭抱えそう。

見聞きすること、覚えていること

 曇り。

 

 早くも猛暑の予報。

 

 これから3ヶ月ほどは30度以上の日が続くのか。ゾッとする。

 

 

 

    夢を見た

 (その1)自宅の2階にいる。信者の子どもが大量にいて遊んでいる。

 

 信者であっても子どもは可愛い。その感情に気づいて複雑な気分になる。

 

 階下に下りる。大人の信者もいる。父がその中でぼんやりとたたずんでいる。(終わり)

 

 

 (その2)自宅からバイクで走り出す。また学校に行くのか。オフロードタイプのバイク。だが原付。

 

 坂を下る。突き当りを左に曲がろうとする。そこに反対側から消防車が強引に侵入してくる。慌てて避ける。

 

 さらに進む。大きな通りに出る。左に曲がる。本当は右に曲がりたい。

 

 人間が大量に道を歩いていて進めない。先を見ると山車が出ている。祭りのよう。

 

 なんとかすり抜けて人混みを抜ける。

 

 右側にコンビニだったらしい空き店舗がある。テナント募集の貼り紙すら隠されている。そんなに不景気なのかと思う。

 

 そこの駐車場で一休みする。駐車場には父と亡くなった姉がいる。

 

 駐車場を出て反対方向に進む。本来行きたかったほうだ。

 

 変速ギアの位置が遠すぎて足で引っ掛けづらい。

 

 運転しづらいがこの先もこれに乗り続けるのだろうと思う。(終わり)

 

 

   思ったこと

 目が覚める。(その1)の夢は悲しい。ひどい目にあった辛い感情が消えていくのは嬉しいけれども、こうやって問題がうやむやになっていくのだろう。

 

 忘れてはいけないことも忘れてしまいそう。そうなると基本的なことすらわからなくなる。何か大事なことがあったはずなんだけれども、何だったっけ。というような。

 

 そいつは困る。

 

 (その2)の夢のバイクはKLXだな。ライムグリーンだったし。

 

 右に行きたいのに左に曲がる。他人が右行けば私は左、というひねくれ者の性格が出ている。

 

 というか、なんで、自分自身にすら逆らうのか。生きづらそう。

 

 それにしても、ここ何年もまったく乗っていないのに、バイクの運転の操作を覚えていたのは驚いた。

 

 クラッチ操作が必要なバイクを運転したのは教習所だけだ。普段はスクーターに乗っていた。それでもクラッチ操作ができていた。不思議。

 

 

 

 思う。

 

 本を読むのもいいけれど、過去の他人の話よりも、今の自分を生きろ、と思う。

 

 今の自分といえば、詩って今・自分、っぽいな。変な言い方だけれども。”うた”か。

 

 

 テレビのニュースはロクでもない話を集めてきて放送しないでくれ。もう、そういう教育にしか見えなくなってきた。

 

 こう生きるんだよ、的な。そりゃまずいだろ。

 

 

 

 

技術の進歩に驚く

 曇り。

 

 今日は夏至だ。

 

 夏至というタイトルの映画があったのを思い出す。

 

 

 ジャンク屋で中古のスマホを買って使っている。Androidのほう。

 

 スマホを本格的に使うのはiPhone4S以来か。4Sはすぐに高級文鎮化したので、すぐにガラケーに戻した。

 

 (ガジェット好きなので他にもいくつか中古で買っていじっているが、メインは今でもガラケーのまま)

 

 感想としては、あの頃に比べてものすごく洗練されている。

 

 今日のブログはそれで書いている。

 

 キーボードはGboardというのか。Googleのやつ。昭和生まれのおっさんとしてはATOKに信頼と憧れがあった。大学の卒論も一太郎で書いた。

 

 だけどATOKは4Sの時点で重くてまともに動作しない上、日本語変換もだいぶんおかしくなっていた。

 

 ネットスラングなどを積極的に取り入れて迎合?したせいでおかしな変換だらけになってしまった。

 

 そういうのATOKに求めてないから。常識と知恵をちょうだい。

 

 当時はそうだったけれど、今はどうなっているのだろう。

 

 

 それに比べてGboardはシンプルでいいと思う。

 

 ・・・キーボードの右上のマイクのマークは何? 

 

 音声入力だと! 夢の機能じゃん。おっさんの大好物。使ってみる。

 

 

 以下音声入力で打った文章:

 

実際はどの程度使えるんだろう句読点はモテるのか開業はどうやってやんだよできないやその改良じゃない滑舌が悪いのか精度が悪いのか

 

 

 

 以上で終了。キーボードに戻る。

 

 句読点と改行ができない。色々やってみた結果、”。”は「まる」といえば打てた。”、”はうまくできない。数字の10になってしまう。

 

 やり方はあるのかもしれないけれど。でも想像以上に精度がいい。驚いた。

 

 Googleの出しているPixel6というスマホはさらに精度が高いそうだ。

 

 それを使えば寝転がったままで文章が書けるのでは。

 

 何故か松尾芭蕉正岡子規が思い浮かぶ。夢は枯野を駆け巡る。

 

 

 久々に欲しいと思うものができた。技術の進歩はすごい。

 

 ただ、まわりに聞かれてしまうのが辛いか。あのおっさん一人で何しゃべってるの。的な。

 

 

 すでに使いこなしている人からすれば、何言っているんだろう、という話かもしれないが、楽しかったので書いてみた。

 

 自分は機械とは相性がいい。人間とはそうでもないけれど。そんな気がする。

言葉や意味の世界にも空間はあるのか

 晴れたり曇ったり。

 

 1月ほど前から夏の日差しになり、もうすっかり夏だ、と思っていた。

 

 けれども今の日差しはさらにパワーを増し、肌が痛いほどの暴力的な強さになっている。

 

 夏ってこんなんだったっけ?

 

 たぶん毎年そう思っている。でも今年は身体が弱っているのか、季節の変化をもろに受けている。

 

 

 

    思ったこと

 父が何か言いたそうだ。

 

 聞いてみるが、まったく要領を得ない。混乱する。

 

 さらに聞くと母親にこう言えと言われたらしい。それで意味不明になっているのか。自分ではまったくわからないか、どうでもいいことを言わされている。

 

 それでこちらも混乱する。うちでは昔からよくあった。

 

 母親の言うことを何でも聞いてしまう。母親の後ろには教団がいることも多かった。それでうちの中がめちゃくちゃになった。

 

 父親の後ろにいる母親(の後ろにいる教団)。それを感じとって子ども時代の私は混乱したのだと今思う。

 

 言葉の世界なのに""後ろ"という空間を表す言葉が使われていて面白い。

 

 間が大事、とか、懐が深い、とか空間で表される言葉は、一言では説明しづらい複雑なものを表現している。

 

 その複雑なものを理解できるのが大人だと思う。

 

 どんな状況で使われても、言葉はまったく同じ意味がある、というわけではなかった。

 

 そこに気づかなかったから、母親の入信している教団にめちゃくちゃにされたのだ。立派なことを言うけれども何故かひどい目に遭わされる。

 

 言っている言葉だけでなく、相手のしていること、態度、声音、表情、所属している団体、文章や活動の文脈、それらすべてから意味はできあがっていた。

 

 言葉だけを見てしまうと物事を見誤る。

 

 そういうことだった。

 

 

 自分はかなりしんどい状況にいる。まわりには、自分の発言内容を理解しないでしゃべっている人間が多いし、(自分ではまったくそう思っていなくても平気でしゃべる)、言動の責任を取る気もない。

 

 自分のしんどさがある程度理解できた。

 

 

 父が言ったことから推測するに、母は私がスマホの通知音を切ってくれ、と言ったのが、よほど勘にさわったらしい。

 

 食事時だろうとなんだろうと、通知音が頻繁に鳴って煩くてたまらないので、注意した。

 

 しかもややこしいのは、コンタクトしてくるのが教団信者ばかりだということ。それで母は注意されたことを自分たちが攻撃されたと思っている。

 

 面倒な話だ。もうやめる。性格悪くなりそうだし。・・・なりそう? やや手遅れでは? 今のことだけ気にすればいいんだよ。

 

 

 今回のまとめは、言葉や意味の世界にも空間の広がりがあって、それがわかるようになることが賢くなることや大人になることと関係があるらしい。

 

 そういうことか。学校でこんなこと習わなかったな。