曇りがち。またダブル台風とか。おちょくられているのか。
夢を見た
また学校。またテスト。今度のは手強い。英語のテストらしいが、リスニングがある。
昭和世代のおじさんには知らない世界。困る。何とか解くが、正解の保証は何もない。
問題文がスピーカーから流れてうるさい。イヤホンだけにしてくれ。みなタブレットやスマホを持っているのだから。そう試験官にいう。
(今考えたら試験だから問題文が流れて当たり前だった)
数学のテストも同時にやっている。訳がわからない。問題の4分の3は解答欄を埋めたが、正解はせいぜい3〜4割だろうと思う。それで不安になる(終わり)
思ったこと
目が覚める。またテストの夢だ。でも新しいタイプだ。昭和時代の学校のテストではリスニングなんて受けたこともない。学校によるのかもしれないけど。
今の学生はネット機器やリスニングなどに対応しているのだろうか。大変だな。それが当たり前なのかもしれないが。当たり前に準備しなければいけない機器やスキルが多すぎる。
子ども時代を思い出す。うちの小学校では筆記用具で使用して良いのは鉛筆だけでシャープペンシルすらダメだった。それを思い出した。今書いたこれを読んでみて、文章のインパクトに驚く。どんだけ昔なんだよ。いや、自分の感覚ではちょっと前の話なんだけど。少なくともそういう時代を知っている人間が生きているくらいの昔。
ネットすら無かった時代。ただテレビゲームは出てきていた。
それにしても、学校のテストは容赦なかったな。全員同じ基準で裁かれる。それで世の中に断罪されている気分になった。そんな気分になったのは自分みたいな人間だけなんだろうか。皆どうやって凌いでいたのだろう。どうして笑っていられたのか。
相変わらず暗いな。とにかくキツかった。そして落ちこぼれ気味だった。それを思い出した。
買い出しに行く。今日の脳内BGMはXJapanの「サイレントジェラシー」
自分がこういう感じの曲を聴くようになるとは思わなかった。派手なイメージだが意外と悲しい曲だった。
自分はリアルタイムで流行っていたときには全く聴かなかった。というか、自分より少し世代が上だと思う。
本人たちのルックスとファンの過激さのイメージばかりが一人歩きしてしまい、肝心の内容はほとんど知らなかった。
今思い返すと、ものすごく流行っていたのだろうな。お隣の韓国でもCDを買ってきてくれ、と頼む人がいたらしいし。(昔の韓国では日本の曲自体がNGだったそうだ)
今になって聴いてみると当時の偏見?がなくなって、歌の寂しさ演奏の激しさなどがダイレクトに伝わってくる。
聴いていたファンはどうなったのだろう。もういい歳だろうな。今でもいい思い出なのだろうか。それってすごく健全な思い出だと思う。
自分のあの頃の思い出は? あの頃は親と親の入信している宗教団体と揉めてボロボロだったな。あれはダメだこれをしろと大変だった。当時はそれを言われている自覚すらなかったけれど。毎日ヒリヒリしていた。ああいう音楽に対する偏見の原因もそのあたりにもあったのだろう。
今思い返せば、どっちが過激で暴力的なんだよ。とツッコミを入れたくなるが。
それに比べたら、曲を聴いてライブに行って熱狂して、「また来ようね」などとライブ代を稼ぐために働くほうがよっぽど健全じゃないか。
これはあくまで外側から見たイメージだ。自分にはなかったもの。いずれにしろ手遅れ。ないものねだり。酸っぱい葡萄。
だいぶん脱線した。歩きながら鼻歌まじり。とても気分がいい。
鼻歌で楽しくなるなんて以前の自分では思いもよらなかった。だいぶんメンタルが回復してきたのかもしれない。
スーパーで買い物。荷物を詰めるスペースに「セロテープを撤去しました」という張り紙があった。昨今の資源が入ってこない問題がここまできたのか。まだ白黒印刷のポテトチップスは見たことないけれど。
戦争の影響が生活にまで及んでいる。もう戦時下? ひたひたと庶民の生活にまでそれが及んできている。
テープでビニール袋の口を止められないと、カットフルーツの汁が鞄の中で大変なことになるな。そういう話か? でもそういう生々しさがある。
戦争反対・平和がいい、とはいうものの、実際にそういうものが来てしまったら本当にできることが少ないな。手に入るものを買う。それだけだ。ものがなくなったら? 想像もつかない。というかただの庶民には過負荷だ。
やれやれ。やっとメンタルが回復してきたと思ったら、戦争のにおいがしてきた。新しいトラウマの要素。勘弁してほしい。今回の夢もそんな感じを反映しているのかも。
コーヒーを飲んで休む。どんな状況でもちゃんと休む。それをやる。