korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

7月9日の日記

 暑い。梅雨明けも近い。

 

 

 たくさん夢を見る。団地内。ホラーっぽい。ぬいぐるみも出てきた。

 

 季節が変わっていっている。夢をたくさん見るときはそうだ。

 

 

 

 買い出しに行く。コンビニの横に証明写真機がある。スマホでいくらでも写真が撮れるが、いまだにこういうものにニーズがあってホッとする。

 

 そういえばマイナンバーカードの申請のとき、写真はどうしたっけ? もう遥か昔の気がする。コロナの予防接種とどちらが先だったっけ。

 

 ここ十年ほど、いろいろありすぎだよ。便利になっているのかもしれないが、その変化についていけるかどうかは別問題だ。

 

 

 海を見る。潮の香り。魚が泳いでいる。とてもくつろぐ。そこに気づいて驚く。自分がそんな境地になるなんて。

 

 静かな日々。それが自分の願いだった。今思えばそれが一番必要なものだった。

 

 とりとめのない文章。昼食をとって帰る。

 

7月7日の日記 また昔を思い出す。不健康な環境

 曇りがち。猛暑でも台風でも線状降水帯でもないだけで、大当たりな気分。

 

 

 今日は通院日。今日の脳内BGMはXJapanの「紅」だった。

 

 自分が聴いた限りでは(全体ではそうではないのかもしれないが)、このバンドは孤独や寂しさばかり歌っている気がする。

 

 なぜなのだろう。そんなこと考えたこともなかった。そこが若い女子の共感を呼んだのだろうか。それも不思議だ。

 

 こんなこと自明なことなんですかね。おっさんは今気づいたから書いたけれど。いずれにしろ、ものすごいエネルギーだったのだろうな。

 

 この曲が流行った当時はそんな場所には全く無縁だった。まさか自分がこんなことを考えるなんて。あの頃は大学と病院しか知らなかった。理系の学部で授業が詰め込まれていて、女子もほとんどいない環境。

 

 書き出してみると本当に不健全な環境だったと思う。

 

 「お前さん"正解"を突き詰めすぎて自分の人生を台無しにしてないかい」 

 

 そうあの頃の自分に言ってやりたい。そんな単純な話じゃないけれど、若い頃まわりにそういう人がいてほしかった。

7月3日の日記 トラウマから回復してきたと思ったら世の中がきな臭くなってきた。ちゃんと休む

 曇りがち。またダブル台風とか。おちょくられているのか。

 

 

    夢を見た

 また学校。またテスト。今度のは手強い。英語のテストらしいが、リスニングがある。

 

 昭和世代のおじさんには知らない世界。困る。何とか解くが、正解の保証は何もない。

 

 問題文がスピーカーから流れてうるさい。イヤホンだけにしてくれ。みなタブレットやスマホを持っているのだから。そう試験官にいう。

 

 (今考えたら試験だから問題文が流れて当たり前だった)

 

 数学のテストも同時にやっている。訳がわからない。問題の4分の3は解答欄を埋めたが、正解はせいぜい3〜4割だろうと思う。それで不安になる(終わり)

 

 

    思ったこと

 目が覚める。またテストの夢だ。でも新しいタイプだ。昭和時代の学校のテストではリスニングなんて受けたこともない。学校によるのかもしれないけど。

 

 今の学生はネット機器やリスニングなどに対応しているのだろうか。大変だな。それが当たり前なのかもしれないが。当たり前に準備しなければいけない機器やスキルが多すぎる。

 

 子ども時代を思い出す。うちの小学校では筆記用具で使用して良いのは鉛筆だけでシャープペンシルすらダメだった。それを思い出した。今書いたこれを読んでみて、文章のインパクトに驚く。どんだけ昔なんだよ。いや、自分の感覚ではちょっと前の話なんだけど。少なくともそういう時代を知っている人間が生きているくらいの昔。

 

 ネットすら無かった時代。ただテレビゲームは出てきていた。

 

 それにしても、学校のテストは容赦なかったな。全員同じ基準で裁かれる。それで世の中に断罪されている気分になった。そんな気分になったのは自分みたいな人間だけなんだろうか。皆どうやって凌いでいたのだろう。どうして笑っていられたのか。

 

 相変わらず暗いな。とにかくキツかった。そして落ちこぼれ気味だった。それを思い出した。

 

 

 買い出しに行く。今日の脳内BGMはXJapanの「サイレントジェラシー」

 

 自分がこういう感じの曲を聴くようになるとは思わなかった。派手なイメージだが意外と悲しい曲だった。

 

 自分はリアルタイムで流行っていたときには全く聴かなかった。というか、自分より少し世代が上だと思う。

 

 本人たちのルックスとファンの過激さのイメージばかりが一人歩きしてしまい、肝心の内容はほとんど知らなかった。

 

 今思い返すと、ものすごく流行っていたのだろうな。お隣の韓国でもCDを買ってきてくれ、と頼む人がいたらしいし。(昔の韓国では日本の曲自体がNGだったそうだ)

 

 今になって聴いてみると当時の偏見?がなくなって、歌の寂しさ演奏の激しさなどがダイレクトに伝わってくる。

 

 聴いていたファンはどうなったのだろう。もういい歳だろうな。今でもいい思い出なのだろうか。それってすごく健全な思い出だと思う。

 

 自分のあの頃の思い出は? あの頃は親と親の入信している宗教団体と揉めてボロボロだったな。あれはダメだこれをしろと大変だった。当時はそれを言われている自覚すらなかったけれど。毎日ヒリヒリしていた。ああいう音楽に対する偏見の原因もそのあたりにもあったのだろう。

 

 今思い返せば、どっちが過激で暴力的なんだよ。とツッコミを入れたくなるが。

 

 それに比べたら、曲を聴いてライブに行って熱狂して、「また来ようね」などとライブ代を稼ぐために働くほうがよっぽど健全じゃないか。

 

 これはあくまで外側から見たイメージだ。自分にはなかったもの。いずれにしろ手遅れ。ないものねだり。酸っぱい葡萄。

 

 だいぶん脱線した。歩きながら鼻歌まじり。とても気分がいい。

 

 鼻歌で楽しくなるなんて以前の自分では思いもよらなかった。だいぶんメンタルが回復してきたのかもしれない。

 

 

 スーパーで買い物。荷物を詰めるスペースに「セロテープを撤去しました」という張り紙があった。昨今の資源が入ってこない問題がここまできたのか。まだ白黒印刷のポテトチップスは見たことないけれど。

 

 戦争の影響が生活にまで及んでいる。もう戦時下? ひたひたと庶民の生活にまでそれが及んできている。

 

 テープでビニール袋の口を止められないと、カットフルーツの汁が鞄の中で大変なことになるな。そういう話か? でもそういう生々しさがある。

 

 戦争反対・平和がいい、とはいうものの、実際にそういうものが来てしまったら本当にできることが少ないな。手に入るものを買う。それだけだ。ものがなくなったら? 想像もつかない。というかただの庶民には過負荷だ。

 

 

 やれやれ。やっとメンタルが回復してきたと思ったら、戦争のにおいがしてきた。新しいトラウマの要素。勘弁してほしい。今回の夢もそんな感じを反映しているのかも。

 

 コーヒーを飲んで休む。どんな状況でもちゃんと休む。それをやる。

 

6月30日の日記 夢を見て思いついたことをだらだらと書く

 晴れていても湿度が高い。やはり梅雨どきか。

 

 昨年は梅雨が明けるのが早くて6月でも猛暑日があった(らしい)

 

 そうだったっけ? じゃあ今年はいつも通りの梅雨なのか。

 

 それにしてはダブル台風が来るとか。今年も変だ。

 

 

   夢を見た

 夕暮れどき。数人でいる。皆でバイクで移動する。

 

 場所はサイタマのほうらしいが、まったく知らない場所。トウブ線沿線らしい。一緒にいる人間も知らない人だ。

 

 自分は二人乗りの後部座席にいる。前のバイクの女性のヘルメットにウィンカーのランプがついている。それをからかう。

 

 大きな川を渡り、駐輪場に止める。これから食事に行くらしい。

 

 駅前を通過する。駅は小さいのに人で賑わっている。駅前の道は大きく立派なのに駅は小さい。地方にありがちな駅だろうか。

 

 お店まで皆でダッシュする。お店に着く。普通の一軒家のような建物。うどん屋らしい。(ああそうか、武蔵野エリアは昔から小麦粉を育てていてうどんが有名だったよな、とぼんやり思う)

 

 お店はまだ開店前だが行列ができている。そして開店時間になったのに一向に開く気配がない。店主は大丈夫なのか、などと皆で言い合う。

 

 中から女性が出てきて店を開ける。中に入る。本当にただの家のようで、長い座卓と座布団、ソファがあり、皆思い思いの場所に座る。

 

 女性が注文取りに来る。「うちのうどんは柔らかいですよ」などと女性は言う。「だけど今回は小麦粉の種類が違うのでどうなるのかお楽しみに」などと不気味なことを言う。

 

 「デュラムセモリナ?」などと私は冗談を言い、しょーもないことを言ったと反省する。

 

 「パスタが食べたくなった」などとさらにしょーもないことを言う。皆終始くつろいでいてどうでもいいことを話している(終わり)

 

 

 

   思ったこと

 目が覚める。珍しく楽しそうな夢。リラックスしている。というか夢に出てくるお前ら誰だよ? これまでそんなこと考えたこともなかったけれど。

 

 夢に知らない人や知らな場所が出てくる人は夢を使った修行には向かない、と若い頃読んだチベット密教の本にあった(はず)。それを思い出す。

 

 別の本では夢はメッセンジャーだと言っていた。それはニューエイジ系の本だった。それにしてもなんであんなに一生懸命そういう本を読んだのだろう。

 

 

 自分が若かった頃と宗教。あの頃は地下鉄サリン事件があって大騒ぎだった。それまでオウムを擁護していた宗教学者が叩かれていた。そういえばこの学者は安倍元総理の事件のときはコメントを読んだ記憶がない。もう嫌になったのだろうか。

 

 今、ネット社会であれこれ検索できるので当時のことを調べてみる。それで驚くことは事件が起きるまではマスコミはわりとオウムと仲良くしていたことだ。坂本弁護士一家はすでに行方不明になっていて、オウムがやったんじゃないか、とささやかれていたのに。そして事件が起きると一斉に叩き始める。お前ら一体何なんだよ。節操というか良識なさすぎだろ。

 

 そういう明るい闇みたいなものを感じた。

 

 

 そしてあの頃。UFOや超能力ブームがあった。そういう時代だった。皆そういう何かに飢えていた。自分が興味があってもそこにのめり込まなかったのは、家族がすでに問題ある宗教に入っていて、それで免疫ができていた(というかもうたくさんだ、と思った)、あるいは胡散臭いものに対するセンサーが出来上がっていたからだ。そういうものは本当に危険だ。

 

 

 最近は世の中そのものがカルトっぽくなってきてしまった。そういうものは無批判に受け入れていいものではない。いずれ強烈なしっぺ返しがくる。そういうことは痛い目にあった人間にしかわからないのだろうか。人々のニーズを誰かの欲望や金儲けに回収されて終わる、人々の想いを搾取するという悪。消費されては豊かにはなれない。

 

 

 自分の経験を話せって? 立派なもんじゃないし、現実世界の出来事は面白エピソードじゃないよ。とてもじゃないがつらくて話せない。だから余計世の中の認識とギャップができるのだろうけれど。

 

 

 

 肉うどんを食べたい。何だよ、このギャップは。でもうどんを久しぶりに食べたくなった。いつもは蕎麦派だ。最近は駅の立ち食い蕎麦屋はみなチェーン店になってしまい、BGMもオシャレなジャズやピアノになって驚いている。(というか軽蔑している) 昔みたいな相撲中継や野球中継のラジオがかかっていたほうが落ち着いててよかった。(というか、曲なんていらない) チェーン店になったせいでメニューがどこでも一緒になってしまってつまらない。つゆもやたらしょっぱいし。

 

 チェーンの傘下に入るといえば、最近地元の名物や豆腐が全然違う県で作られていて驚いた。地名の意味は何? ただの記号?

 

 

 年寄りの愚痴みたいになってしまった。それにしてももう少し考えてもいいのではないか。自分もいい歳した大人だけど。なぜ無理だったのだろう、ということが多い。

 

 

 

 今年も半分終わってしまった。2026年が始まったという実感すらないのに。こういう感覚はコロナになって以降のことだろうか。オリンピックやW杯(今も)などイベントごとはたくさんあったのにどこか他人事だ。金持ちと権力者とスポーツエリートのためのお祭り、みたいな感じだろうか。

 

 お前も自分で動けよ。どこかに旅に出ろよ。たぶんそういうことだよな。

 

 

 などなど。今日の日記。

 

 

 

 

6月27日の日記 身体が弱って気づくあれこれ

 雨。思っていたよりは穏やか。あくまでも今のところ、ということ。

 

 たくさん被害が出ている場所もあるのだろう。

 

 テレビでは警戒を呼びかける目的だろうか散々被害の話をする。それも大事だが、見ている方が消耗してしまう。地震もあった。本当にそういう情報を見るのがつらい。

 

 もう少し報道の仕方を考えてくれないだろうか。どの程度の規模の台風でどこどこの地域で予想される被害はこれくらい、と具体的に言ったほうがむしろ親切なのではないか。大変だ大変だ、対策しろ対策しろなどと言い続けられるのはかなわん。

 

 

    夢を見た

 学校に向かっている。原付スクーターで気分よく向かっている。

 

 学校に着く。試験前なのか、皆机に座って勉強している。ふと、自分は勉強道具を一切持ってきていないことに気づく。

 

 それを皆に言う。割と冷たい目で見られる。まあ、でも今回0点でも十分卒業できる点数はすでに取っているからいいか、とも思う(終わり)

 

 

    思ったこと

 目を覚ます。また学校の夢だ。何やってんだか。基本的には自分は勉強は好きだけど、学校のテストのための勉強ではなさそうだ。そういうのはもうたくさんだ。

 

 勉強が好きというのは社会のメインストリームではないのかもしれない。皆いずれ卒業して社会に出ていく。社会に出ても技術を身につけるための勉強はあるけれど、あくまでそれは手段だ。それとも違うようだ。ただ単に好奇心が強いだけなのだろうか。あるいは教養というやつか。ズレてる、ということなのかもしれない。それにしてもいまだにこんな夢を見るのか。まったくどうなっているんだ。

 

 

 去年の夏にコロナに罹ってから一気に体力が落ちた。明らかに疲れやすくなった。そうなると動画を観るのもつらい。動画視聴がこんなに負荷がかかる作業だと思わなかった。

 

 なのでもっと負荷のかからないことをやっている。読書とか音楽を聴くとか。書店に行ったりサブスクで音楽を聴くことが増えた。

 

 自分はもういい歳したおっさんだ。(昭和生まれなんて、自分の感覚で言ったら”明治生まれ”みたいなものなのかもしれない。明治なんて想像もつかない。それどころか戦前は知らない世界だ)

 

 最近の曲は知らないし、具合の悪さもあって情報量が多すぎる曲はつらい。思い切り後ろ向きに昔の曲を聴いている。

 

 昔の曲は口ずさみやすい。(あくまで”自分にとっては”の話)

 

 自分が知らない昔の曲。長渕剛の「巡恋歌」を聴く。不思議なことに発見がある。

 

 この頃の曲(歌謡曲?)の中には男性が女性のふりをして歌い、そのことで男の身勝手さなどを描写するという屈折したジャンルがあるようだ。それをやることで自分のことを素直に表現できるようになるのか。

 

 そういう歌を口ずさんでみる。気分が良い。ちゃんと今ここと繋がっている。誰に聞かせているわけでもないのにそう思う。不思議だ。

 

 思ったよりずっとこの世界と繋がる。”呪”的なものなのだろうか。身体が弱ったせいでそういう感覚が鋭くなったようだ。

 

 一人でも楽しくなれた。一人なのに繋がっている。そういう不思議。自分は一人向きらしい。人と群れるのは難しい。それは立派な才能だし、それがないと生きていけない部分もあるけれど、自分はそれには向いてなかった。

 

 

 思い出す。子どもの頃から母はいつも歌っていた。今もそうだ。母が甲高い声で歌っている時はたいていメンタルの調子が悪い時だった。毎回(物理的・精神的)暴力を振るわれていたわけではないけれど、私は母の歌声が本当に怖かった。母が別の生き物になってしまったような気分。(今思うと、むしろ歌うことでメンタルの不調を解消していたのかもしれない)

 

 久しぶりに当時の気分を思い出した。歌は不思議だ。

 

 

 などなど。最近思ったことをつらつらと書き出してみた。

 

 

 追記:この記事は久しぶりにPCで書いている。最近タイトルは日付しか入れていないが、今回それをやったら”これでは内容がわからないからもっと具体的に書け”というようなアドバイスが出てきて驚いた。人間の内面にまで直接干渉してくるのか、という心配。便利だけどそんなこと頼んでない、という戸惑い。

 

 そのうちAI(なのか何なのかこちら側からは見えない)のアドバイスが”正解”になってしまい、皆がそれに従うようになる時代が来るのかもしれない。それも嫌だな。そういう形の支配。自分はひねくれ者なのかそういうことが気になる。ただ心配性なのかもしれない。そうして世の中の動きに取り残されたりする。

 

 そうか”人間のために”もあるけれど、それよりも”検索エンジンのために”ということなのかも。なるほどな。・・・いや、タイトルが長くなると読みづらいって。やっぱりひねくれている。