korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

9月6日の日記

 雨。雨が降るとどこかで大雨になる。

 

 それをニュースで大々的に報じられる。

 

 確かに必要なことかもしれないが、大騒ぎされない静かな環境もほしい。

 

 

 

 ズボンのボタンが取れかかっている。自分でつけようと裁縫セットを取り出した。

 

 ・・・いつの間にかものすごく視力が落ちている。針の穴がよく見えない。糸を通せない。

 

 どうしたものか。糸を針の穴に通せる道具を買いに行く。

 

 

 手芸洋品店に来た。こういう場所は滅多に来ないので勝手がわからない。道具はすぐに見つかった。なに、二千円だと? (たぶん)一回しか使わないものにそんな値段は出せない。

 

 店内を探す。そんな立派な道具でなくても菱形の細い針金のようなものを針の穴に通すやつがあった。価格は百円もしない。

 

 これで十分だろ。(こういうものを見るとこんな値段で商売になるのかといつも思う。でもなっているからあるのだろう)

 

 

 ついでに店内を見て歩く。何に使うのかよくわからない道具や材料がたくさんある。専門性の高いものばかりだ。

 

 あるコーナーでふと目に止まる。シルバニアファミリーがある。これっておもちゃだよな。なんで手芸洋品店にあるんだ。しかも隅の方にひっそりではなく、センターに堂々と置かれている。

 

 「君たちはここで何をしているのかね?」 そんな気分だ。(真面目か)

 

 でも思い出してみると、こういうお店には手芸用品以外にもあれこれあった気がする。大きい店舗なら尚更だろう。

 

 画材や文房具、鉄道模型やパズルなど。そういう一人で黙々とやる(ことが多い)趣味のものがたくさんあった記憶。これもそうなのだろうか。

 

 

 最近の手芸洋品店はコスプレのための材料とかをたくさん売っていて、かなり派手な印象だったけれど、本来はこういう地味な(一人の世界の)お店だったのかも。

 

 そんなことを思った。

 

 

 子どもの頃一人でレゴブロックで黙々と遊んだり、河原で石を使ってお話を作って遊んでいたことを思い出した。もしかしてああいうのは、子どもだけでなく大人にも必要なのかもしれないな。

 

 

 

 帰る。何だかものすごく疲れたので、駅のベンチで休む。ついでにコンビニで買ったハイボールを飲む(おい)

 

 こういうことを恥ずかしげもなくできるようになったんだな。自分でも少しあきれた。

 

 自宅は騒々しくて落ち着いて飲めない。お店もそうだ。(だからって駅で飲むの?)

 

 この駅は海の近くで開放感がある。緑も多くてリラックスできる。港から何かが作動する音が聞こえてくる。飲みながらそういうものと一体になった。

 

 こういうのを時間の蕩尽というのかもしれない。とても贅沢で大事な時間。

 

 

 公園でチューハイなどを飲んでいるおっさんが時々いるけれど、そういう人はたいてい蔑んだような目で見られることが多い気がする。(気がするだけで皆他人にそんなに興味はないのかもしれないけれど)

 

 自分の場合そういう冷たい視線は感じなかった。どちらかというと"おやおや"みたいな感じだった。(これもただ"気がする"という話かもしれないが)

 

 その理由はここが基地の街だからではないかと思う。基地周りではそういうものに比較的寛容なのではないか。おっさん文化というかおっさんの挙動。男だらけの環境。(あるいは皆"大人"なのかもしれないな)

 

 飲み終えてしばらくボーッとしてから帰宅した。思ったよりずっといい時間だった。

 

 

 そんなことを考えた。

 

 やっぱり一人の充実した時間は絶対に必要じゃないか。

 

 

 

 帰宅してボタンをつける。買ってきた道具で簡単に糸が通った。この道具思ったよりずっと便利だ。

 

 何十年も前に習ったことなのに、ボタンのつけかたは覚えている。糸の結びかたもだ。

 

 不思議なものだな。受験勉強の内容は忘れても、覚えた技術は忘れない。

9月4日の日記

 だるい。夏の疲れ。

 

 身体中が筋肉痛みたいになっている。

 

 

  夢を見た

 海岸沿いにいる。歩いて移動。

 

 駅前からバスに乗る。降車時に料金を払おうとするが、電子決済がうまくいかない。何度やってもダメ。

 

 運転手にものすごい勢いで怒られる。「恥を知れ」とまで言われてそのまま降ろされる。

 

 トボトボと歩く。歩きながら「そこまで言わなくてもいいじゃないか」と思う。

 

 そして現金で払えばよかった、と気づく。財布を探すがポケットからなくなっている。

 

 駅前に来る。大きなパチンコ屋がある。その中にはスパやマッサージの店舗もあった。

 

 身体がボロボロで利用したかったが、そうもいかない。

 

 男性の整体師が熱心に勧誘している。それを見て「ああ、家族を養わなければいけないものな」と思う。

 

 そのエリアを出てさらに歩く(終わり)

 

 

 

  思ったこと

 目が覚める、ものすごく惨めな気分だ。疎外を感じた。

 

 自分はどうやっても他人とはうまく行かない。そういう人間らしい。キャパが無さすぎる。

 

 どこでもストレンジャーとでもいうのか。夢でさえ舞台がどこであれさまよっている。

 

 

 それにしても息苦しい夢が多い。一昨日見た夢も乗っていた路面電車の線路が途中でなくなっていて、その先が港になっていて爆弾を船に積み込んでいた。戦争のにおい。

 

 

 

 買い出しに行く。今日の脳内BGMはゲーム音楽。グラディウスⅡの1面の音楽。

 

 自分はこのゲームをほとんどやったことがない。MSX版のグラディウス2はやったがあれはまったくの別物だ。

 

 それでも曲だけは不思議と記憶に残っている。自分が若かったせいかもしれないが、この時代のゲームの曲は印象に残るものが多い。

 

 逆に当時はいい曲だと思っても、今聴くと、「ショボいな」と思うことも多い。それは昔のゲーム機の音源が貧弱だからだ。

 

 当時はゲーム機の性能のせいで同時に発音できる音数が限られていて、効果音を出すときに曲のどの音を削るかという工夫が行われたという。

 

 そういうエピソードを知ると「ショボい」でなく、「ようやっとる」となる。こういうのが教養というのだろ。

 

 個人的に"人間はようやっとる"となるのが教養だと思う。

 

 自分は他人とはうまくいかないけれど、人間そのものは嫌いになりたくないのだと思う。

 

 まさかゲーム音楽でこんなことを思うようになるとは。

 

 

 喫茶店で休憩。このあとは買い物して栄養つけて帰ろう。

8月31日の日記

 8月も今日で最後。夏休みの宿題・・・。

 

 いや、それよりもここのところの気温の乱高下のせいで体調がボロボロだ。呼吸器がやられている。

 

 インフルエンザももう流行し始めたというし。早すぎだろ。

 

 宿題なんて気にしなくて良くなったおっさんになっても悩みは尽きない。

 

 "生きている人間から悩み苦しみがなくなることはない"というのは本当らしい。

 

 とはいえ、悩みは尽きなくても歳を取ると図々しくなるのでそういう面では生きやすくなるかもしれない。

 

 

 自分は歩くのが好きだ。というか好きだった。それで徒歩の動画をよく観る。

 

 "伊能忠敬界隈"なんて言うらしい。伊能忠敬は隠居してからあれをやり始めたらしい。立派すぎないか。

 

 そんな立派な話ばかりじゃないと思うんだけどな。歩く人の中にはもっと自由というかだらしない人もいるだろう。弥次喜多みたいな。

 

 そんなことを考えていたら、該当しそうな人間をふたりほど思いついた。それは山下清と種田山頭火だ。

 

 

 山下清は裸の大将のモデルになった人で、障害がある。だいたい施設を脱走して放浪していたようだ。

 

 彼は式場という先生に見出されて有名になった。この先生は草間彌生とも関わりがある。精神障害と芸術との関わりの研究をしていたらしい。

 

 放浪から帰ってきてスケッチブックに絵や文章(改行なしの平仮名だけのものを式場先生が直したそうだ)を記録した。

 

 自分はそれを学生時代に読んだ。ちくま文庫だったか。

 

 

 そして種田山頭火。実家は造り酒屋の大金持ちだったが、自身が大酒飲みだったせいもあって潰してしまった。その後坊主になり放浪を開始する。

 

 その間たくさんの俳句や日記を残した。これも学生時代に読んだ。

 

 

 なんでこういうものを一生懸命学生時代に読んだのか不思議だ。昔の落語家が自身の落語について「こんなことは学校じゃ教えてくれない」と言っていたがそういうことに興味があったのだろうか。

 

 どうやっても受験勉強や学校生活では出てこない。

 

 そういう何かを徒歩動画に感じるのかもしれない。どちらかというとYouTubeよりもニコニコ動画のノリだろうか。あまり金やビジネスのにおいがしない。何かの役に立つとかそういう訳でもない。好きだからやっている。

 

 

 夏の終わりにそんなことを思った。

8月28日の日記

 蒸す。気温はそれほどでもない。

 

 と書いてみて、31℃や32℃がそれほどでもないわけないだろ、と思った。

 

 猛暑に慣れすぎ。でも身体には限界があるから注意。

 

 

 買い出しに行く。今日の脳内BGMは「さくら(独唱)」(森山直太朗)

 

 なぜ今の時期に? この歌手で夏の終わりに適した別の曲があっただろ。多分そこから連想して出てきたのではないかと思う。

 

 この曲を聴くと出だしから凛となる。最初の「僕らは」(というか、「ヴォ〜くらわぁ」か)から。

 

 今から卒業式が始まるくらいの感じ。自分はこの曲の世代ではないけれどそう思う。

 

 卒業式は特別だ。たとえ実際の学校生活がボロボロであってもそう感じる。無条件に祝福されている。まあ、この後も次の入学式(や入社式など)があって厄介事は続くんですけどね。(そう思うのは自分だけだろうか)

 

 たとえそうであっても無条件で祝福される体験は必要なのではないか。誕生日とか。たとえそれが次のトラブルの始まりに過ぎなくてもそういうイベントは必要。

 

 まあ卒業式が個人のものではなく、社会の中のイベントと考えることもできるけれど(そっちが主流か)

 

 とにかくこの曲でそんなことを感じた。そして言葉をとても大事にしている歌だとも思う。

 

 

 歩く。歩くとスッキリするからいい。

 

 ・・・と言いたいが、気持ちが悪くなってきたのでやめる。”暑い”の前にダイレクトに気分が悪くなる。夏の疲れだ。

 

 脳内BGMの甲高い声が体調の悪さに直撃する。喫茶店に避難する。

 

 

 アイスコーヒーを飲みながら思う。おっさんの卒業式なんて何十年も前の話だ。なのにいまだに思い出す。学校の夢もいまだに見る。

 

 それにいまだに青臭いことを考えてここに書いたりしている。こういうことは10代のうちに完全燃焼するまでやり尽くすべきことなのではないか。そうでないと一生拗らせるだろう。他にも遊びとか恋愛とか童○とかもそうか。

 

 そんなことを思った。いったい10代のころは何をしていたのだろう。誰のために一生懸命受験勉強をしていたのか。本当に不思議だ。いったい誰の都合だったんだ。

 

 これはあくまでも今思えばの話。当時は必死だった。

 

 そういう気持ちの供養が必要か。

8月26日の日記

 今日も蒸し暑い。

 

 暑さだけでなく冷房のダメージも蓄積している。喉が痛い。

 

 

 今日の脳内BGMは「夏が来る」(大黒摩季) なんでこの曲が頭の中で流れたのかわからないが、聴き返してみると改めていい声だと思う。

 

 この曲が流行った時期は社会の中の女性の問題を歌った曲が結構あった。他にも平松恵理の曲(「もう笑うしかない」とか)などがある。

 

 今はその頃と比べてどうなのだろう。

 

 

 おっさんになった今も繰り返し学校の夢を見る。これは散々書いた。やっぱり学校や勉強に未練があるのかも。実際の学生生活は具合が悪く、幻聴や視界が真っ白になる、下痢などの症状との戦いでもあった。

 

 未練がある、というか残留思念とか地縛霊レベルのしつこさかも。でも実際に何を勉強するのさ。

 

 「好きなものを勉強していいですよ」などと言われたら、塵になって霧散してしまうのではないか。成仏?

 

 そんな気がする。もう死んでいるのかよ。それが嫌だがら必死になっているのか。

 

 正直もう休ませてくれ。という気持ちもあるな。

 

 同時にまだジタバタしたい、という気持ちもある。こんちくしょうという気持ち(だけ)で生きている。

 

 

 そんなことを思った。取り留めのない文章。夏だ。

 

 

(追記)「夏が来る」を自分で口ずさんでみる。意味とか理屈とかそういうのは背景に引っ込んで強制的に"今ここ"に戻されるから歌はいいと思った。