korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

考えてわかったこと。自分が感じたことをそのまま取り上げるのがこんなに大変だと思わなかった

 暑い。もう梅雨明けした地方があるという。史上最速だとか。

 

 季節感がどんどんなくなってくる。もう四季でなくて冬と夏の二季だという人がいるが、これ以上暑くなると夏の中に暑い時期と比較的涼しい時期があるだけの一季になってしまうのではないか。

 

 常夏。ちょっといいなと思ってしまったが、作物とかがめちゃくちゃになると思う。

 

 

    夢を見た

 早朝。駅にいる。電車に乗る。職場に向かうらしいが、いつものように迷子になる。時刻は昼を回ってしまう。同僚がいたので話す。正社員になったらしい。

 

 「頑張ってますよ」と同僚。自分とは正反対だ。自分は療養中であることを話す。

 

 何とかして会社と連絡を取ろうと携帯電話やスマホを操作するが何故かできない。

 

 別の現場に出る。昔の同級生が働いている。彼とはもう何の関係もないと思う。

 

 時刻は午後3時を回ってしまい、もうどうしていいのかわからない。(終わり)

 

 

    思ったこと

 目が覚める。久しぶりに昔の職場の夢を見た。そしてうなされた。

 

 目が覚めて「夢でよかった」と安堵するような夢。

 

 

 昨日も書いたが、昔の記憶を整理している。戦争トラウマに関する本などをあさっている。

 

 ここで書いていることはもちろんただの素人の考えです。

 

 ”反省も悔悟もなき転向”なんて言葉を見た。「戦争と文化的トラウマ 日本における第二次世界大戦の長期的影響」(竹島正・森茂起・中村江里編 日本評論社

 

 正直に言うとつらくてこの手の本はまともに読めない。少しだけ読んでみる。その中で印象に残った言葉がこれだった。過去の過ちと向き合わぬまま平和主義を唱えること。

 

 何が失敗だったのかわからなければ反省もできない。戦争はいけないと言ったって、お前それに協力していたじゃないか。それに逆らえなかったじゃないか。それはどういう構造だったのかを知る必要があるのだろう。

 

 これは自分自身の人生にも当てはまる。どうしてできなかったのか。逆らえなかったのかを知る。これにはとてつもないエネルギーが必要だし、安全な場所もいる。そしてつらい。

 

 本の中の出来事と自分の人生を混同しているって? 個々の出来事は別々でもそれを受けてしまった人の中ではすべてが一つになっている。

 

 それは分かち難い。それを解いていく作業。どうしていいのかじぶんでもわからない。だから参考になりそうなものは何でも見てみる。

 

 そういう複雑で厄介な作業。

 

 それの意味? 知らんな。記憶があまりに重すぎて動けなくなっているから何とかしようともがいているだけだ。側から見たらアホにしか見えないかもしれないけど。

 

 まわりの無理解。せっかく前を向いているのに暗くなるようなことをするな、と言うことか。

 

 明るく都合のいいことだけを考えるとか、ポジティブとか、それができる人間はそこまで深刻な問題を抱えていない。こっちはそうはいかない。

 

 だからちゃんとけりをつけないとまわりとの差がどんどん開いていくだけだ。そうか、そういう明るくポジティブは罠?だったのか。むしろ暗くなりたくない、嫌なことを思い出したくない、というまわりの思惑だった。 

 

 ある種の病的な状態だったのかもしれない。解離ってやつか。人工的にそういう状態を作って何も問題ないように見せる。問題ない人間にとっては一見それでめでたしめでたしだろうけど。次同じ問題が起きても対処できない。いや、また誰かに押し付けて”なかったこと”にしようとしているのかも。そういう”成功体験”になっている?

 

 それだと押し付けた相手から相当な恨みを買うのだけど。戦争の時のまわりの国みたいに。それもなかったことにする気なのだろうか。

 

 なんか一つの構造が見えてきた気がする。これは自分の勝手な考え(妄想)だけど。そういう無意識の何か。善意で一生懸命やっているのにとてつもない問題が起きトラブルになる。そういう構造。

 

 そういうものに巻き込まれたのだろうか。それに従って一生懸命動いても問題は解決しない。それは自分とは関係ない誰かの都合だからだ。

 

 そこに自分もまわりの治療者たちも気づいていなかった、ということだろうか。だから一生懸命やっても裏目に出てしまう。

 

 これまではこんな考えはただの妄想とか陰謀論的な何かだと思っていたが、自分の身に起きたこと、感じたことを馬鹿にせずに検討してみたらそうでもない、むしろ妥当な考えな気がしてきた。

 

 自分の考えたこと・感じたことを馬鹿にする習慣。こういうものが身につくのはもしかしたらとてつもなく悪い環境だったのかもしれない。そこからある程度離れないとわからないのが厄介。

 

 

 素直に見る、考える。感じたことをちゃんとピックアップできる。これは大変な能力なのかもしれない。

 

 そういう目でさっきの夢を見ると、うちに帰ることができず、かといってどこかに行くこともできないというかなりつらい状況にいるのかもしれない。

 

 休む場がない・居場所がない。という表現。かなりつらい。流浪の身。