突然の雨。
昨日は晴れの予報だったのに。
さっき天気予報を見たらしれっと雨の予報になっている。
最近こういうのが多い。
夢を見た
昼間。日差しが強い。大きな道を父の運転する車で走っている。亡くなった姉も一緒。
道の先は海らしい。川に沿って走る。
道の名前は国道17号か16号らしい。だが、夢の中で16号はこんなのじゃないと思っている。
道の終点まで来る。道は突然なくなる。広い駐車場がある。その先は海浜公園。
車を降りる。のどが渇いたので自動販売機でジュースを買おうとさがす。
公園の入り口に一台、駐車場の入り口に一台見つかる。こんな何もない場所なのに二台もあるのは変だ。
コインが入らない。中を覗くと入り口までコインが詰まっている。
メンテナンスの人間が来る。メンテナンスの人間は何故かコンビニの制服を着ていた。
このあたりにコンビニはおろか、店は全く見当たらないのにどういうことか。
ふと、姉の世話をしなければと思う。姉はどうなったのだろう。(終わり)
思ったこと
目が覚める。夢の中でまで疑問に思うのか。
まだ夜中だ。考え事をする。
家族が重い。問題がありすぎる。時々その事を思い出して潰れそうになる。
全部自分のせいなのだろうか。
自分でやったことなら自分のせいと言ってもいいのかもしれない。
うちの中ではどちらかというと、責任を持たなければいけない人がそれをしないため、まわりに問題が広がって、それをまわりの人間が食い止めている感じだ。
こんなのこっちのせいにされたらかなわない。
代わりの人間がいるのかと言われればそんなものはいない。まわりには私しかいない。
自分の責任でも、私の起こした問題でもないけれども対処はしないといけない。
そういう種類の問題だった。
学生時代のことについて思う。私は大人しく、成績もそこそこよかったので、学校の先生からは重宝?がられた。
でも、今になって思う。あの人たちに褒められても何もいいことない。今だから言えることだ。
"何も"は言い過ぎか。その中を生きていたわけだし。
当時は受験戦争時代で偏差値や内申書が異常に重要視されていた。そういう時代背景のせいもあるのだろう。私も先生もその中を必死に生きていた。
先生がただって一生懸命だった。だからこその悲劇なんだと思う。個人の適性や能力よりもシステムの評価を優先したせいで起きた悲劇。
今になってやっとその事に気づいた。本当に手遅れだ。
手遅れだけど、一つのことにけりをつけられた。
死ぬまでにこういう自分にかけられた様々な”洗脳”が解ければいいな、と思う。