台風が来るのか。イベント多すぎ。
夏の疲れが抜けきっていない。いきなり気温が下がったり季節の前後が激しすぎる。キツいのは歳のせいだけではない(と思いたい)
もっとしみじみしたいんだけど。
夢を見た
郊外にいる。また通学途中だ。今回は学校に着けるのだろうか。
思ったこと
目が覚める。また学校の夢を見るようになった。
学生時代を思い出す。大学は田舎にあった。自宅からかなりの時間をかけて通学していた。
田舎なのに電車もバスも混んでいた。首都圏の悲しさだ。郊外でも都内へとつながっている電車は大混雑している。
大学の近所は都内へ通勤する人たちのベッドタウンだった。だから余計バスが混む。現地に着くまでにへとへとになっている。
でもなぜ夢の中で登校下校の場面ばかりなんだろう。その時しか自由がないからではないか。
朝早く起きて登校し(満員電車が嫌なのでさらに早起きになった)、学校はカリキュラムがカリキュラムがギチギチに詰まっていて(これは理系の学部だったからだ)、ヘトヘトになって家に帰る。家では寝るだけだ。
登下校の時間だけが自由だったのかもしれない。まわりを見て好きなことを考えていた。これは自分にとってものすごく大事だったのではないか。
自分は読書も好きだったが、観察して考えることも好きだった。その価値を小さく見積りすぎていた。というかこれが一番好きなことかもしれない。
そんなもの専攻にならないか。専攻と言えば、あの当時自分はなにをしたいのか全く分かっていなかった。それがやっと最近わかった。
自分のように家庭に問題を抱えた人間は心理のほうに進んだりする人もいるけれど、正直
「目の前で暴れている人間がいたりする環境で”無意識”とか専門用語を覚えて何の役に立つんだ」
という気持ちだった。問題がデカすぎて何かに結びつかない。今思えば勉強よりヘルプが必要だった。
”福祉を学ぶのではなくて、あんたがそれに助けてもらうんだよ”
そういうこと。そんな環境ではとてもまともに将来や勉強のことなんて考えられなかった。
一生懸命考えて整理した結果わかったことは、”できない”ということだった。限界を知るということか。これも学びだ。「何だかなあ」だけど。
それくらい込み入った環境で育った。まだまだその整理が続く。まわりに訳のわからないものがありすぎた。