曇り。涼しい。
夏休み後半らしい気候。
夏休みがあった時代は遥か昔のことだ。
夢を見た
夜。今から仕事のようだ。
気づくと郊外の道を歩いている。
仕事を途中で抜けてきたらしい。どういう理由なのかわからないけれども、罪悪感が全くない。
歩いて大きな建物のある敷地につく。大学らしい。
私はここに用がある。
建物の中に入る。学食のようだ。給水器が何台も並んでいる。お茶をくむ人たちで混雑している。
ここでの私の服装はTシャツ短パンの上からガウンを羽織っているだけになっている。
向こうから女子たちがこっちを見て何かささやいている。非常に恥ずかしい。
女子たちとすれ違いざまに、何をしゃべっているのか聞き耳を立てたがよくわからなかった。
建物を出てさらに歩く。なぜか夢全体を通して幸せを感じた。(終わり)
思ったこと
目が覚める。また学校の夢だ。
高校?のテストの夢に比べて、大学の夢は穏やかで幸せなものが多い。
私のリアルな大学時代も、学生生活の中で比較的楽しかった記憶がある。
心身共にボロボロで家庭内も問題だらけだったが、それでも行きたいところに行けて、読みたいものを読んでた。
行きたい、といっても海外に行ったりしたわけではなく、ただ気の向くままに近所を出歩いていた。
同級生の中には海外を放浪している人間も何人かいたが、自分にとっては自分のまわりが、十分すぎるほど不思議なことだらけだった。
良い意味でも悪い意味でもだ。謎が多すぎた。とてもじゃないが遠くのことに興味を持つ余裕はなかった。
それで都内の書店街や秋葉原の電気街をよくふらついた。何を買うわけでもなく目的もなく。
この目的もなく店に入ることは今ではもうできなくなっている。
好きなところに行って、好きなものを読む。大学時代にはこの自由な雰囲気があった。
そこで誰とも遊ばずにほっつき歩いたり、読書していた。どうも自分にとっては人間ではなく、街そのものや本が話し相手だったようだ。
これは今でも変わらない。最近やっとその事を自覚できるようになってきた。
学校の勉強はほとんどした記憶がない。いや、性格的にサボれないので、授業にはちゃんと出ていたのだけれども、それでもほとんど記憶がない。
授業にちゃんと出ていたのに、大学で専攻していたものはほとんど理解できなかった。
でも本はたくさん読んだ。記憶に残っている範囲で羅列すると、岡本かの子、種田山頭火、カルロス・カスタネダ、チベット密教の本、サブカル系の謎の本など。
内容はほとんど忘れた。
今思うとこっちのほうが本当にやりたかったことだ。読書し放題できる大学は天国だった。でもこんな雑多なものは専攻にしようがない。ただ読みたい本を読みたかった。
やりたいことを誰にも文句を言われず、のびのびとできる不思議な場。それが私にとっての大学だった。
今は健康状態や年齢的なものもあるのかもしれないが、読書するのに大変な困難を感じる。やはり場は大事だ。
それにしても、学校の夢をたくさん見るのは不思議だ。何か大学にやり残したことがあるのではないか。
それは、自分が抱えている問題とも関係があるのだろうか。