korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

いつまでたっても東京初心者。重荷を背負いすぎている

 雪だった。(過去形)

 

 

   夢を見た

 きれいで立派な建物。博物館だ。

 

 宇宙開発の模型と一緒に絵画も展示されている。やるな、と思う(終わり)

 

 

 

   思ったこと

 目が覚める。何が"やるな"なんだろう。人間の営みを優劣をつけずに大事に扱っている感じがするからか。

 

 

 

 買い出しに行く。久しぶりに都内に出る。

 

 すごい人だ。スピードが違う。毎回こんなんだったっけ、と戸惑う。

 

 秋葉原ものぞいてみる。歩いている人の海外観光客の比率がまた上がった。

 

 レトロゲーム店など日本人は店員と私だけだった。まあ最近は見た目で判断できないけど。

 

 ジャンク屋をのぞく。・・・プロ向けだね。素人の知識のない私にはわからん。ガラクタにしか見えない。

 

 別の店に行く。Apple製品はすごい。見ただけでAppleだとわかる。欲しくなるわけだ。

 

 歩いているオタクは皆元気そう。自分にはもうわからない世界だけど。

 

 ともかく相変わらずの秋葉原でホッとした。

 

 

 デパートの地下街で夕食を買う。地下街は戦場だった。とろいとにらまれる。ここにも観光客。通路でローリングする子どもなどもいて余計カオス。私のような田舎者が歩くとぶつかる。

 

 昔はどうしていたっけ。むしろ考えないで歩いていた。クラゲのように流れに任せているとぶつからない。

 

 昔、本当にずっと昔だ。学生時代。一応都内の大学に通っていた。

 

 頻繁に通っていた三省堂八重洲ブックセンターもなくなってしまった。(というか建て直しか)

 

 それにしてもこれを普通のこととして生活しているなんてすげえなと思う。いやすごいのか? もうわからない。

 

 

 

 とにかく弁当を買い込んだ、価格の高騰に驚く。弁当が5400円とか。縁が無さすぎてもう何とも思わない。そんなの買わないし。

 

 デザートも買い込んで地下エリアから離脱。本当に"離脱"といった気分。

 

 メンタルが危険信号。昭和生まれの私は「東京砂漠」の最後の部分がエンドレスで流れていた。

 

 

 ヘトヘトで電車に乗る。昔女性にあなたは重荷を背負いすぎだ、と言われたことを思い出した。

 

 歳のせいか、本当にそうだよなと思った。荷物をたくさん抱えて"お上りさん"(今はそんなこと言わないか)といった感じ。

 

 東京に揉まれた一日だった。それなりに気が晴れた。少しだけ昔を思い出した。

 

 

 帰宅する。母は具合が悪いようで寝ていた。そっと洗濯する。

 

 洗濯物を干しながら「あなたがいればぁ〜」と鼻歌を歌った。少しは気分が晴れた。

 

 

何で夢を書いているんだろ? わからん

 寒い。気圧が急降下。

 

 気圧計の数値が3桁になるとテンションが上がる。

 

 

   夢を見た

 田舎の細い道を数人で歩いている。

 

 崖がありそこに洞窟がある。防空壕のあとくらいのサイズ。

 

 入り口は丸いチューブ状の機械で埋まっている。私はシールドマシンだと思う。

 

 中止になった工事の跡地らしい。地下鉄か。

 

 穴の奥に進む。驚いたことに中にはたくさんの人がいて工事をやっている。

 

 勝手に工事を進めているらしい。いいのか?

 

 奥には立派なホールまである。先に進もうか迷う。(終わり)

 

 

 

   思ったこと

 また不思議な夢だ。ホラーに出てきそうな穴。

 

 ホラーゲームの影響か。SIRENとか。

 

 トラウマ持ちはホラーにひかれるらしい。セラピストに言われた。

 

 

 で、何で夢を書いているんだろう。というか、おれに何故なのか答えられると思う?

 

 ようわからん。まあいいや。

思ったより昔習ったことは覚えている。驚いた

 今日は寒い。今日は冬だ。

 

 

 

    夢を見た

 昼間。海沿いの街中を歩いている。カゴシマという土地らしい。暖かい。

 

 さらに歩く。コンビニを探す。コンビニはコンパクトだ。

 

 海岸に人だかりができている。大きなイベントだ。自分はそういうのに用がないので通り抜ける。

 

 都市部に来る。かなり栄えている。今日はどこに泊まろう。

 

 気づくとホテルにいる。たくさんの人と一緒。修学旅行か。

 

 また、学校の都合に巻き込まれてしまったと夢の中でうんざりする。

 

 夕食の時間。荷物の整理に戸惑う。

 

 

 さらに時間が経過して夜。隣の部屋には母が泊まっている。

 

 部屋の外から女の人の声がする。様子を見に廊下に出ようと明かりを探す。

 

 母が懐中電灯を見つけてきたがスマホでいいかと思う。

 

 そもそも出て行かないでじっとしていた方がいいのではと迷う。(終わり)

 

 

 

     思ったこと

 目が覚める。また混乱した夢だ。鹿児島には行ったことがない。想像上の話だ。

 

 何故か“若い頃の放浪はいいが年老いてからの放浪は惨め“という言葉を思い出した。

 

 

 

 

 ズボンのボタンが取れた。自分で繕うことにする。手芸屋でソーイングセットを買う。

 

 手芸屋にいる女性たちは皆活気があり謎の一体感がある。それが見ていて面白い。

 

 手芸屋にもオタクの文化が進出している。そのことに驚く。彼らの行動力はすごい。

 

 

 うちに帰り、ソーイングセットを使う。裁縫なんて学生時代の家庭科の授業以来だ。

 

 ・・・視力が落ちている。針の穴がわからない。何とか糸を通すことに成功する。それだけでものすごく嬉しい。

 

 糸を通すだけで自己効力感アップとかビックリだよ。テキパキと作業をする。何十年前に習ったことなのにやり方を忘れていない。

 

 学生時代は“技術“よりも“家庭“の方が好きだったことを思い出す。“技術“はきりで穴を開けずに釘を打ち込んで板を割るとかそんな思い出しかない。(経験値は上がった)

 

 自分で考えているよりも昔の経験は覚えているものだと感心した。嫌な記憶の方はちゃんと覚えていて散々書いていることに気づく。

 

 

 思えばこのブログの夢を書くというのもユング派のカウンセラーにかかって以来の習慣だ。ちゃんと身についている。不思議なものだ。

 

 

 さて作業も済んだ。一丁上がりだ。

 

 

 

夢の中でも誰かに頼る必要。自分は変わってきた

 小雨。それでも歩くのは楽しい。

 

 

 

   夢を見た

 晴れ。昼間。丘を上っている。丘の上には大きな建物。新しい病院らしい。

 

 知り合いなのか男性と一緒。

 

 病院に着く。せっかくなので検診をやってもらうことにする。

 

 男性の知り合いの女性スタッフが来る。あれこれ用意しなければいけないものがある。

 

 ホールには机がたくさんありスタッフが忙しそうに働いている。

 

 免許証のコピーがいる、と別のスタッフに言われる。自分でやる。コピー機を探すがない。

 

 スタッフの机の横に卓上コピー機がある。使っていいと言われたので使う。

 

 機械のそばに小銭が大量に置いてある。自分のと混ざらないように注意する。

 

 コピーが終わりさっきの女性スタッフを探すが見当たらない。いつの間にか日が暮れている。(終わり)

 

 

 

   思ったこと

 目が覚める。病院の夢は珍しい。

 

 コピーもスタッフにお願いすればよかったかも。自分で何でもやろうとしすぎか。

 

 そういう環境で育ったんだよ、と何故か逆ギレする。("逆"ってなんだろ)

 

 何でも自分でやらなければいけない。それどころかまわりの面倒も見ないといけない。

 

 何でも自分でやってしまうと孤立するらしい。経験則。

 

 でもそういう厄介な性格でもある。自分で確かめないと気が済まない。

 

 だとしたら、尚更どこまで頼るかをはっきりさせないといけないのかも。

 

 

 

 買い出しに行く、洗剤の詰め替え用を探す。製品の規格が変わってしまい、元のボトルのデザインから変わっている。買い直さないと。エコとは?

 

 

 コーヒーを飲みながら思う。ここ数年でずいぶん考え方が変わった。誰かに頼ることを考えるようになるなんて。

 

 いいことだよな。人間の限界がわかってきた。

 

 さて帰ろう。

 

 

したくない考え方が少しわかった。自分の型? 

 気温が乱高下。天気予報。自分の部屋。体感温度。バラバラだ。

 

 情報いらないのでは。その場で対処する以上のことはいらない?

 

 

   夢を見た

 学校。教室。たぶん始業式。新しい?環境。

 

 違和感しかない。男子生徒とボードゲームをする。まったくわからない。ルールも、何故こんなことをしているのかも。

 

 教室を出る。廊下でも生徒が活動している。部活動のようだ。

 

 突然自分にできるのは見ることだけだと悟る。参加することはできない。ここの人間ではないのだ。(終わり)

 

 

 

   思ったこと

 目が覚める。また変な夢だ。当たり前と言えば当たり前だが寄る辺がないのは悲しい。

 

 季節の変わり目なのか夢を大量に見る。

 

 

 考える。本を読む限り、海外の一神教の文化で育った人たちは独特だ。もっともそれはこちら側から見ればの話だけど。

 

 その文化の中で素朴に育った人たちは、アウシュビッツなどの深刻なトラブルにみまわれるとどうなるか。

 

 「何故私は悪いこともしていないのにこんな目に遭うのか。神は何故こんな目に遭わせるのか」

 

 そう思うらしい。彼らにとって神は全能で善であるらしい。自分の善を疑わない"健全な"人は

 

 ・神は全能であるが、善ではない。(我々のことなど気にかけていない)

 

 あるいは

 

 ・神は善だが全能ではない。(我々を気にかけてくれているけれども、どうすることもできないこともある)

 

 

 一部の人間はそういう結論にいたるようだ。

 

 とっても面白いな。不幸な目に遭っている人を面白いというのも不謹慎だけど、異なる考え方を知るのは楽しい。

 

 

 何故こんなことを考えるのか。度々書いているけれど自分は宗教2世だ。そのせいだろう。

 

 

 自分のスタンスはどうなんだろう。一神教の文化にはいないしわからない。それっぽい宗教の中で育ったけれど。

 

 神とかはよくわからないけれど、この世界の秩序とコンタクトすることはできる。くらいの話か。

 

 オカルトじゃなくて日光浴とか散歩とか、その中で歌を詠むとか、そのくらいの話。理屈でなくて自分とこの世界くらいのこと。大きな理屈を言ったり、それを押しつけられると自分はかなり傷つく。

 

 それがわかった。わかったのかわからなくなったのか、成長したのか後退したのかよくわからないけれど。

 

 何だか放浪する坊主(西行山頭火)みたいなイメージだ。ちょっと切ないか。

 

 東洋の仙人とか松尾芭蕉という単語も浮かぶ。

 

 

 で、これは何なんだい? 何でこんなことを考えているのか。問題だらけの中から自分の型みたいなものを見つけた?

 

 やっぱりよくわからないな。でも少し成長?したのかも。成長というか問題の整理・成熟・洗練か?

 

 やっぱりよくわかんないな。とりとめのない不思議な文章。