korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

したくない考え方が少しわかった。自分の型? 

 気温が乱高下。天気予報。自分の部屋。体感温度。バラバラだ。

 

 情報いらないのでは。その場で対処する以上のことはいらない?

 

 

   夢を見た

 学校。教室。たぶん始業式。新しい?環境。

 

 違和感しかない。男子生徒とボードゲームをする。まったくわからない。ルールも、何故こんなことをしているのかも。

 

 教室を出る。廊下でも生徒が活動している。部活動のようだ。

 

 突然自分にできるのは見ることだけだと悟る。参加することはできない。ここの人間ではないのだ。(終わり)

 

 

 

   思ったこと

 目が覚める。また変な夢だ。当たり前と言えば当たり前だが寄る辺がないのは悲しい。

 

 季節の変わり目なのか夢を大量に見る。

 

 

 考える。本を読む限り、海外の一神教の文化で育った人たちは独特だ。もっともそれはこちら側から見ればの話だけど。

 

 その文化の中で素朴に育った人たちは、アウシュビッツなどの深刻なトラブルにみまわれるとどうなるか。

 

 「何故私は悪いこともしていないのにこんな目に遭うのか。神は何故こんな目に遭わせるのか」

 

 そう思うらしい。彼らにとって神は全能で善であるらしい。自分の善を疑わない"健全な"人は

 

 ・神は全能であるが、善ではない。(我々のことなど気にかけていない)

 

 あるいは

 

 ・神は善だが全能ではない。(我々を気にかけてくれているけれども、どうすることもできないこともある)

 

 

 一部の人間はそういう結論にいたるようだ。

 

 とっても面白いな。不幸な目に遭っている人を面白いというのも不謹慎だけど、異なる考え方を知るのは楽しい。

 

 

 何故こんなことを考えるのか。度々書いているけれど自分は宗教2世だ。そのせいだろう。

 

 

 自分のスタンスはどうなんだろう。一神教の文化にはいないしわからない。それっぽい宗教の中で育ったけれど。

 

 神とかはよくわからないけれど、この世界の秩序とコンタクトすることはできる。くらいの話か。

 

 オカルトじゃなくて日光浴とか散歩とか、その中で歌を詠むとか、そのくらいの話。理屈でなくて自分とこの世界くらいのこと。大きな理屈を言ったり、それを押しつけられると自分はかなり傷つく。

 

 それがわかった。わかったのかわからなくなったのか、成長したのか後退したのかよくわからないけれど。

 

 何だか放浪する坊主(西行山頭火)みたいなイメージだ。ちょっと切ないか。

 

 東洋の仙人とか松尾芭蕉という単語も浮かぶ。

 

 

 で、これは何なんだい? 何でこんなことを考えているのか。問題だらけの中から自分の型みたいなものを見つけた?

 

 やっぱりよくわからないな。でも少し成長?したのかも。成長というか問題の整理・成熟・洗練か?

 

 やっぱりよくわかんないな。とりとめのない不思議な文章。