前回の続きで、これまでの人生であったことを書きます。
自分の記憶や思いが錯綜してかなり読みづらい文章になっていますがご容赦ください。
思ったこと・考えたこと
子供時代の記憶から
子供のうちは世間や人間のことが理解できておらず、またできることも少ないので物事を単純化して外側のせいにして、とりあえずうっちゃっておくことは大事でした。
そうしておかないと潰れます。それにたとえ大人であっても世界のすべてを生きることはできないので、これをやるのが生きるための知恵でもありました。
「バカじゃないの」、という職場などで時々あったあれでした。とてもシンプルに他人を馬鹿にした態度をとる。最初は意味が分かりませんでしたがちゃんと理由があったのです。そしてそのあとでケアが必要です。ちゃんと元に戻してやる。
こうしたことを思ったのは子供時代の記憶や感情を整理できるようになったつい最近のことです。
子供時代のうちには介護が必要な人が誰かしらいました。そしてその対応を母一人でこなしていました。ワンオペ育児という言葉がありますが、要するに孤立無援です。”ワンオペ”とか言ってしまうと問題が何だかわからなくなってしまうことがあります。言葉の響きも少し格好いいですし。
うちの母は”ワンオペ”で育児と介護をこなしていました。父は仕事が忙しく帰ってくるのも夜中でした。親戚もまわりに誰もいません。母は元々精神状態がやや不安定だったようですが、これによりさらに悪化したようです。それで子供に手をあげるようになりました。
自分もその対象になりかなりきつい思いをしました。さらにそれを悪化させたのが母親が入っていた宗教団体の教えでした。暴力や憎むことを露骨に否定した、というより子供っぽい道徳心の押し付けがありました。そのことで自分の感じていることを肯定することができずに精神的に追い詰められました。
今ならこの団体がやっていたことがまさに暴力だったとわかります。人間やこの世界に対する理解がシンプルすぎます。世界は複雑にできており決して一つの理屈では説明できません。だからしっかりと成長した大人は互いに相矛盾した理屈をいくつも抱え込んでいます。そのことで謙虚にもなるし、不測の事態にも対応できるようになります。
話がややそれてしまいましたが、暴力とそれに対する感情の否定という二重のトラブルのため、自分はおかしくなり長期間カウンセラーのお世話になりやっと最近落ち着いて考えることができるようになりました。
その結果、人間の持っている負の感情なども含めたシステムは生き残るために出来上がったもので決して否定するべきものではない、ということを少しずつ分かるようになりました。ポジティブだけでは生きていけません。というよりそれでは破綻します。
今回はここまでです。かなりしんどい内容だったと思いますが、自分の中を一度整理しないとブログを書き続けることができないと思い、書いています。
お読みいただきありがとうございました。