晴れ。
突然の寒さ。聞いてないよ。
聞いていない、といえば最近の天気予報では花粉の飛散情報をやっていない気がする。
コロナなどに時間を取られて、放送する時間がないのか。
夢を見た
(その1)海沿いの道路を原付スクーターで走っている。ほかにも数人いる。皆で下校しているようだ。
乗っているのはよく配達で使われている3輪のやつだ。これで道路を猛スピードで走るのはどうかと思う。
隣を走る同級生のバイクがもたれかかってくる。同級生は運転しながらゲームをやっている。車体に傷がつくしなにより危ない。
道路がやや狭くなる。隣の同級生に怒鳴る。
「センターラインの位置が変わるぞ。ちゃんと運転しろ」
そうしないと反対車線に出て事故ってしまう。
T字路に出る。曲がる途中でスロットルレバーのゴムが外れる。あわててはめる。
車体はかなりガタがきているようだ。
さらに進む。ヘルメットをかぶっていないことに気づく。これ車の登録だったかな。そうであればかぶらなくてもOKなんだけれど。
でも合法であってもかぶらなければ危ない。停車してシート下のボックスを見る。ヘルメットは入っていない。
バイク用品店はどこだったか。かなり内陸に行かないとないな。これで長距離移動はしんどい。さて、どうしたものか。
気づくと、教室にいる。隣の席の女子と話している。テストの答案が返却される。返ってきたのはなぜか銀行の預金通帳だった。
答案を見るとかなりいい点で順位は2位だ。当然だ、と思う。しかし、その実力はないことにも気づいているし、俺って思ったよりもできていたんだな、とも思う。いろいろな思いが入り混じっている。
先生が私に何か言う。そのことについて隣の女子が抗議している。なにかの勘違いらしい。私が非難されていると思ったようだ。
その後、このまま理系に進むのか、とクラスの男子に聞かれる。大学進学の話らしい。
この苦しみをあと4年も味わうのはごめんだ、文系に進む。と答えた。
男子はどの分野に行くのか? ”シンデレラ学部”か、と言う。
”シンデレラ学部”ってなんだよ。わかるように言ってくれ。受験用語か。MARCH的な何かか? 受験や就職業界特有の言い方だろうか。
そこで気づく。文系といったっていろいろだ。具体的にどの分野に進みたいのだろうか。(終わり)
(その2)プールの観客席にいる。水泳の国際大会を観戦している。隣には年配の外国人の女性がいる。私はその人をギリシャ人だと思っている。
日本人は行儀が悪い、片手でものをもって食べる、とその女性は言う。おにぎりのことだろうか。
だって、そのほうがもう片方の手が自由に使えるでしょ、と私は答える。ちぐはぐな会話。(終わり)
(その3)さっきの”シンデレラ学部”と言った男子生徒と話している。
あなたの名前の本来の漢字の意味はまったく逆だった、と彼に言う。
よく知っているな、と彼は答える。
これも夢だったと起きてから気づく。(終わり)
思ったこと
目が覚める。久しぶりに大量の夢を見た。スッキリした。
夢について考える。(その1)の夢について。
原付で猛スピードで長距離を走るとか無茶だ。
テストについてのあの感情。テストでいい点を取れていたのは事実だ。だけれども理解はできていなかった。
私はそのことをテストや勉強に対する取り組みが間違っていたと思っていたが、実際にはどうだったか。
テストでいい点が取れた。順位もよかったし大学に入れた。ということは、あのシステムにちゃんと順応していたのでは。そういう意味では正しかった。
というか順応しすぎていた。そもそもテストが何のためにあるのかということがわからなかった。それで盛大にズッコケた。テストが本体ではなかったのだ。
ということは、あれでは学力は測れない。ということか。というかあれだけでは不十分だ。ということだった。
あれだけでは不十分とは、どういうことだ。テストの点だけでなく適性ってものがある。適性を教えてくれるのはテストではなく人間だったのではないだろうか。そこが欠けていた?
書けば書くほど自分が”間抜け”だったと気づいて嫌になる。もっともこれは今だから言えることだ。当時は必死だった。人間がなんでもできると思ってはいけない。だから悲劇なのか。
テストのできがちょっとよかっただけで、適性関係なしに無条件に上に行けてしまえる恐ろしさ。そしてそのことを誰も指摘しない。
あと、なんだかわからないが、当時は(今も)人間としての基本的なベースの部分ができていなかったような気がする。学力以前の話だ。やばかったら進路変更するとか。しんどかったら楽な方向に進むとか。
まわりはもっとうまく楽にやっていた。というか私にはなんだかわからない、”好循環”があった。自分もまわりもサポートしあえるような。あれはなんだったのだろう。
それができないと、まわりの人間がすべて敵になってしまう。でも、なんでまわりの人間は誰かに搾取されないんだろう。それが不思議だ。今記憶を整理してそのことに気づく。
これはまわりの人間にとっては当たり前のことなんだろう。当たり前すぎて自覚もしていないから、教えることができない。なんとなく、とか、頑張らなくていい、とか、そんな言い方になってしまう。
こっちはそういう訳にはいかない。頑張ってその”当たり前”とかいう、なにかを必死に手に入れようとしている。それが手に入らないと努力すればするほど不幸になっていく。それはこれまでの経験から痛いほどわかった。
もしかしたら、まわりのケアが必要なくらいぶっ壊れてしまったほうが、楽でうまくいったのかもしれない。
これも今だから言えることだ。実際の当時のうちのなかでは、介護が必要な人間がいて私が壊れるわけにもいかなかったし、犯罪まがいのことをやっている母が入信している教団にも親切にされるわけにもいかなかった。
・・・うちの中の酷さがだいぶん整理されたな。やっぱり滅茶苦茶じゃん。
それ以前にみんな忙しすぎだろ。先生も生徒も。親も。まわりがの人間がどうなっているのか誰も気にしない。それどころか自分自身の不具合にすら気づかない。恐ろしいことだ。これが最近一番思うこと。
何でこんなことを書くんだろう。自分の家の問題について考え・整理して書くことは、そういう状況を生き残ってしまった人間の義務だと思っているところがある。そういう死にぞこないの仕事だ。
読んでいる人にとって、こんな長くて鬱臭い文章が面白いかどうかわからないけれども。
本当に戦場帰りみたいだ。
(その2)の夢についての感想は、外国の人と話すのはとても楽で楽しかった。海外の人はちゃんと質問に答えてくれる。ちゃんと受け答えをしてくれる。そういう印象。
日本人に何か質問すると
「そんなこというけど、あんたなあ~」からはじまって
「わかるやろ~」で終わるイメージだ。
そうでなければ質問そのものを一刀両断にしてしまう。結局質問には答えてくれない。だから何も積みあがらない。たまるのはフラストレーションだけだ。
(うちの場合はこの、「わかるやろ~」が暴力的になることが多々あった。だからその言い方の違和感に気づけたのかもしれない。皮肉な話だ)
たまにそういうことをしない人と話すことがあったがとても楽だった。それは海外留学の経験がある人ばかりだった。
あと(その2)で思ったことは片手で云々の話はおにぎりというよりサンドウィッチだな、くらい。
(その3)については、(その1)で出てきた男子生徒と女子生徒は小学生の時の同級生だったことに気づいた。そして、どちらもフルネームで思い出せた。そこに驚いた。夢に出てくるまでそんな人間がいたことすら記憶から消えていたのに。
で、結論。
夢は見たことを書いていくうちにどんどん記憶や思いが整理されていく。すごいなユング。ユングがなにしたのかほとんど知らんけど。
(散々気炎をあげて書いたけれども、できることはしっかりとご飯を食べる・ちゃんと休む、くらいか。それが一番大事なのかもしれない)