晴れ。
もうだいぶん暖かい。
そういえばオリンピックをやっているんだ。
ニュースでは選手の活躍よりも規定違反やドーピングなど本来は裏方であるはずの人々の活躍?が目立っている。
スポーツってなんだっけ?
思ったこと
最近感じたこといくつか:
(その1)沖縄問題に関する本を読んでからイライラしてうまく眠れない。だから夢も見ない。その本は気分が悪く読み続けることができなくなってしまった。タイトルも書きたくない。タイトルは以前のブログに書いた。アメリカ人が書いた本。
占拠しているあちら側の都合を堂々と書いている。こっちもなんとなくそれが当然だと思ってきたが、そんなわけはない。現地で生きている人間。戦争で負けた側の人間。その視点はまったく別のものだった。
ただ本自体はよくできているのだと思う。正確で正直に書いている。だから批判ができるのだと思う。正直なだけに傲慢さやそれをどうすることもできない悲しい状況が浮き彫りになる。
そんな中ある文章(*)を読む。沖縄でキャバ嬢として生きるシングルマザーの生活史。
*:「atプラス 28」(電子書籍版 太田出版)内の記事(「キャバ嬢になること」 上間陽子)
記事の中には生きている人間がいた。ちゃんと自分の問題について話している。とても響いた。
想像を超える問題の面倒くささだ。沖縄では基地の問題がドーンとあるのかと思ったが、それを当たり前の日常として生きている。基地の問題は背景に引っ込んでいる。
貧困の問題がメインだ。面倒くさい人間の知り合いや親せきは、また面倒ごとを抱えている。それらが複雑に絡み合っていてどうすることもできない。
思い当たる節がある。こういうことか。と自身を振り返ることができた。かなり困難な状況。
基地もそうかもしれないけれど、一人の人間が負うには重すぎる問題だ。それを背負わされている。こういうことも起きるんだと思った。そして他人に起きることは自分にも起きる。
なんだか上から目線だ。だけど、遠くから見ることができる他人の問題を利用しないと、うまく自分の問題を整理できない。自分の問題はあまりに近すぎて、考えたり整理することがとても困難だ。考えるより前に来てしまった問題になんとか対処しなくてはいけない。そのことで必死で余裕も選択肢もほとんどない。
あと思ったことは、語りはいい。他人の語りを聞くとホッとする。記事の本筋からは離れているだろうけれど。
(その2)うちで起きている母が入信している教団の問題。これまでも散々書いた。彼らはなぜ自分の目先の損得しか考えないのか。
目先のことしか考えない。つまり余裕がない。これって貧困の問題に似ているのかもしれない。
彼らは完全に受け身だ。上から言われた通りに動くしかない。正解を他人にもらっている。外側の状況にコントロールされている。他者の都合にズブズブに同化している。自分が実際は何を感じているのかわからなくなっている。だから彼らはいくらひどいことをしてもまったく平気な顔をしているのだろうか。
仕方がないんだ、(だから自分のせいではない)、ということ? もちろん理由はこれだけではないと思う。
彼らの気味の悪さが少し理解(というか整理)できたと思う。誰の意見なのかわからない抽象的な話を立派な理屈を使ってしゃべっている。
ある程度理解できても困った問題を抱えていることには違いない。
貧困の問題との違いは、彼らは自分からこの状況になっている。貧困問題みたいに選択の余地がないわけでない。たぶん。
これらのことを考えるうえで(その1)で読んだ記事が役に立った。とても不思議なつながり。
1000キロ以上離れた赤の他人が教えてくれた自分の問題の見方。会ったことすらなく名前も知らないけれども、ともかく助かったよ。