曇り。
早くも台風が来る。
気温が低い。台風が通過したらまた一気に気温が上がるのだろうな。
夢を見た
地元の駅前にいる。大学時代の先輩(女性)と歩いている。そういえばこの先輩とは地元が近所だった。
いろいろ話すがちぐはぐだ。(あの頃もそうだった。自分の性格もあるが、それ以前に私の生きている環境が”普通”とあまりに違いすぎたためだった、と今ならわかる)
先輩は通りにある化粧品の店に入る。何か注文したものを受け取るらしい。私は入り口で待つ。
ここのバイトらしい若い男性に話しかけられる。大学生だろうか、さわやかすぎる。化粧品をすすめられる。うっとおしい。化粧品なんて何の縁もない。
アトピーだから、とか何とか言ってごまかす。男性店員はあまりに普通の大学生でイライラする。
先輩の用事が終わったので通りに出て駅に向かって歩く。
駅前ではイベントをやっていて大変な混雑だ。
先輩は友達らしい女性と合流していなくなる。
一人になり駅の構内を歩く。この先輩に自分の経験を話すことはできないだろうな、とぼんやり思う。(終わり)
思ったこと
目を覚ます。なんだかしんどかった。大学時代のしんどさを思い出した。
まわりとずれているが、それがなんだかわからない。はっきりと口に出すことができない。それで夢の中の男性店員と話してイライラしたのだろうな。
もう少し問題の存在を認識することができていたら「お前と俺とじゃ背負っているもんが違うんじゃ、ボケ」とか言いそうだな。面倒くさい人。狂犬か。
たぶん問題を認識できていてもどうにもならない、というか、”普通”の彼らのことはわからなかっただろうな、と今は思う。それでも少しは風通しがよくなりそうだ。
また読んだ本のことについて考える。「ヨーロッパ思想史」(金子晴勇著 筑摩選書)
理性と霊性。
霊性なんて言葉が出ていたとたん、うわあ、勘弁してくれよ。思想史の本じゃなかったのかよ、と思った。
でも思う。あれ、悪いことや、善いことって、どうやって判断しているんだろ?
理屈だけだったら、うちの母親みたいに他人に迷惑をかけながら、いくらでも立派そうに聞こえる話をすることはできるし。それとどう違うんだろ。
昔読んだ本のエピソードを思い出す。その人は少年時代に父親とかなり長い距離を歩きながらあれこれ話したそうだ。その思い出が大人になってからものすごい財産になったという。
また別の本のエピソード。父子家庭で育ったその人は、子供時代父親と一緒に連続ドラマを観た。父は忙しくてほとんど家にいなかったが、その時間だけは必ず一緒にいてくれた。
なぜかそれらの話を思い出した。何の関係があるのかわからないが、ただの理屈とそうでないものとを分ける肝がそこにあるような気がする。
また昔のことを思い出す。これまでさんざん書いた問題。昔、母に母や母の入信している教団について、必死に抗議したことがある。私の精神状態がやや良くなってきたころ。
母はそれをただのトラブルとして処理してしまった。悪霊か何かの仕業ということらしい。そういうものには気を付けないと、と信者に電話で話していた。
人生をかけた異議申し立てが、ただのトラブルとして処理された。そのことで何かがポッキリと折れた気がする。”棄損”という言葉が浮かんだ。
私はそれで上に書いたようなことが知りたいのだと思う。善いこと・悪いことがわかるってどういうことだ。
理屈だけならどうとでも言える。誰かに言われたから、とか、本に書いてあるから、ではないよな。言われる相手次第でどうにでもなるようだったら困る。
そんなことを思った。
本当にしつこいな。自分は。答えが出るまで延々と考える。