晴れ。
台風一過?
この時期の言葉ではない。
妙な感じだ。
買い出しに行く。寒い。
気温の変化に身体がついていかない。
都会の小さなスーパーに入る。
手の込んだ料理を作ろうとしなければ、この小さなスーパーで全て揃う。便利だ。
前回のブログで書いたことをまた考える。善いこと・悪いこと、どうやって判断しているのか。
あれをやれ、これはいけないと言われたからできるようになった、というよりも、そばにいる誰かのやっていることを見て自然と覚えるのでは。
そちらの方が説得力が高い。背中を見て育つ。
人から伝えてもらうものなのか。まわりにまともな人間がいることの大事さ。
本でもいいのかもしれないけれど、それだと力加減がわからない。理屈のために身の破滅に向かって突っ走る人間が出てきそうだ。美しく散る的な。
また考える。"普通"ってなんだろう。
"普通"の人はそんなことは考えないのでは?
一人の人間の背負える以上のトラブルを追わされた人間だけが、そういうことを考えるのかもしれない。そうでなければ普通であろうと普通でなかろうと、気にせず問題なく生きていく。そうなのではないか。
だとすれば、抱えているトラブルを減らせばいいのだろうか。
・・・でそれで納得できるの?
・・・できないかも。厄介な性格。
そんなことを考えた。
追記:アドセンスからメールが来た。自分は昔有料版のブログにしているときに、何度か申請して落ちて諦めたので関係のない話だが。
内容は、ウクライナで起きていることの存在を否定したり、戦争を容認するような内容を書いたブログの収益化は一時停止しますとのこと。
誰がどうやって判断するのだろう。プログラムがいくつかの単語に引っ掛かったものを自動的に停止するのだろうか?
それとも人の目で見て判断するのだろうか? ブログの収益だけで食べている人は結構深刻な話だろう。
時代が進みすぎてよくわからないことになっている。善いこと・悪いこと、それを判断すること。