曇りがち。
朝から暑い。
夏、第2章のはじまり。
夢を見た
画面?いっぱいに書類が映し出されている。他のものは見えない。
なにかの願書だろうか。
交友関係やら色々書くところがあり面倒。
自分の生まれた場所の地名を間違える。流石にどうかと思った。
それにしても汚い字だ。修正液を使うのはまずいだろうか。
父の声がする。こんなものはあとからどうにでもなる。
そして父は自分の話を延々とし始める。(終わり)
思ったこと
目が覚める。書類が画面いっぱいにあるだけとか変な夢だ。ゲームの画面か何かか。
父はいつも自分の話をして、他人の話を聞かない。それで母とよく喧嘩になっていた。
でも、父の言うとおり、どうにでもなるのかもしれない。
考える。またしんどい話。最近よく書いている。
安倍元総理の事件から宗教団体関係のニュースが多くなった。それでまた自分の昔のことをありありと思い出すようになった。
母が入信してる団体のこと。例の事件のとは全く別の団体だけど。
昔、母の入信している宗教団体の書類を偶然に見たことがある。
その書類はメンタルに問題を抱えている家族に対するときに、宗教がどういうふうに役に立ったか、それを公演してくれというお願いだった。
読んでぐったりした。このメンタルに問題のある家族って私のことだろ。
信じないと滅ぼされると脅されて、暴力を振るわれて、生活や考えることをガチガチに管理されて、メンタルに問題が出ないとでも思っているのか。
それどころか、自分たちのやっていることが、その問題に対して何か役に立っていると思っている。自分の都合のいいことしか考えていない。
トラブルの原因を作っているのを無視した上に、自分の都合をさらにねじ込んできている。それで出来事を上書きしようとしているのか。
トラブルそのものをうやむやにした上、それを素晴らしいエピソードに書き換えようとしている。同時進行だ。
そういえば母も、私は誰にも迷惑をかけていない、と言い張っていたな。
本当に息苦しい。窒息してしまいそうだ。
また思う。何回も検討する。
現実世界で起きていることを無視すれば、立派な理屈というのはいくらでも言える。そしていくら荒唐無稽な理屈でも、堂々と言えばそれなりに意味があるように見えてしまう。
理屈とはそういうものらしい。そしてそれをやる人間というのはとても質の悪い人だ。
現実世界の手触りを無視しない。それが良心の根拠なのかもしれない。
その手触りとは、自分の苦痛などの感覚・感情、他人からのクレームやフィードバックなどだ。
理屈でない感覚的なもの。でもこれだけ立派な理屈が世の中にあふれてしまっていたら、それは難しい。
インターネットなんてもろに言葉だけの世界だものな。人の身体や感覚なんて入る余地はない。
誰かが声高に言っているような、立派な理屈や正解などそもそも存在しないのかもしれない。
そんなことを思った。
あの事件のせいで古傷が開いてしまった。そのおかげで再検討ができるとも言えるが辛い。
書きながら、こんなことを他人に見せていいのだろうかと思う。もう開き直ろうか。