曇り。
かと思えば突然の雨。
変化が激しい。
買い出しに行く。
川縁に行く。
ここのところストレスがたまりすぎだ。
ホラーゲームをやったせいで昔の様々な記憶を思い出した。それはいいのだけれども、具合の悪さや恐怖・無力感もやってきた。
気を付けながらやらないと。なぜなのかわからないが、ホラーゲームをやることが、とても大事なことのような気がする。
様々な不条理・悲しみと向き合う。それで感情が流れる。
最近のゲームはとてもリアルだが、それでもフィクションで他人事なのがいい。それを体験する。旅の僧みたいだ。
雨で平日のせいもあるが、川縁はほとんど人がいない。
傘をさしたおばさん(おじさん?)がやってきて、川のほうに向かって甲高い声で何か叫んでいる。
誰かを心配しているのか、あるいは謝っているのか。そんな口ぶりだ。
変な人だ。だけど、雨の中、川にいる自分も十分変だ。
・・・余計なこと考えるなよ。気が滅入るだろ。
しばらくイライラしながら、土手を歩いていたらそれなりにスッキリした。
スーパーに入る。かなり混んでいる。
街中の雑踏やスーパーで人の中に紛れるととても落ち着く。
はじめての店で商品の場所がわからず。相変わらず迷子だ。
買い物をして帰る。
空が広くてホッとする
ホラーゲームをやって思い出したこと:
母の入信していた教団の信者の中には比較的親切な人もいたが、それでも私や私の家族が教団にメチャクチャにされたときには全く助けてくれなかったし、あくまであちら側の意向で動いていた。
親切だけれども破壊的・暴力的。子どもの頃、いや現在の私もその矛盾を抱え込まされて大変に苦労している。
相手がわかりやすい悪者だったらこうはならなかっただろう。退治してメデタシメデタシくらいのわかりやすい話。
だが相手がそうでない場合には本当に困る。どうしていいのかわからない。
ホラーゲームにはそういった矛盾がうまく表現されている。元々人間だったゾンビとか。でも現実世界の問題ではゾンビなんていない。相手はあくまで人間だ。
だから退治するわけにはいかない。
自分の中にはそういう困難さがあった。それを思い出した。
メチャクチャにされても、好き勝手にやり返すわけにはいかないし、そんなことは不可能。アクセルを踏みながら、ブレーキも踏まなければならないような困難。
そんなことを考えた。