曇り。
涼しい。いよいよ夏の終わりか。
そうであってほしい。
ホラーゲームばかりやっている。
ホラーというより理不尽に巻き込まれた人間のゲーム。
ゲームのキャラクターの悲鳴が身体の中を流れていく。フィクションだけどかなりの重さ。
なぜかそれがとても必要なことだと思う。
感じているのは自分の身体だ。相手は架空のキャラクターだし。
こっちが勝手に背負い込んでいるということか。自分はそういう人間らしい。
そうすると自分自身の感情もとても生き生きしてくる。
色々思い出す。かなり重たい。それで寝込む。
寝込みながら気づく、ゲームの中のキャラクターの感情に触れた時と同じように、自分の感情も溜め込まないで"他人事として"流してしまえばいいのでは?
寝転びながら、WALKMANで音楽を聴く。そうしながら少しずつ流す。それは身体の震えと関係があるらしい。そうセラピーで学んだ。
少しずつ対処できるようになっている。でも本当に少しずつで思ったよりもずっと大変だ。
学生時代にはこれが自分に絶対に必要なことだなんて思いもよらなかった。それがうちの環境の、自分の特殊さなのだろう。
2時間ほどそうしていてだいぶん楽になった。
親が出かけていて本当によかった。
また思う。
母と入信している教団。他人を酷い目に遭わせてもずっと善人だというポーズを取り続ける。
それが、自分たちは絶対に正しい、ということの正体なのだろう。相手に不都合を押しつけた上にその事自体を認めない。
それを自覚させられてかなりきつい。
なるほど、これではおかしくなる人間が出ても不思議ではない。それのつらさを身体全体で感じる。
おかしいことをおかしいと思えることがまともなのだと思う。でもそれはある環境にいる人間にとってはとてもきついことだ。
鈍感になったり乖離することは生きていくために必要だということを改めて認識する。
だけどそのままでは生きていくのに支障が出る。コミュニケーションがうまくいかないし、他人を傷つけても自覚できない。感じたことから、工夫するという物事の積み上げができない。
一番困るのは楽しい・嬉しいなどの感情を感じることがあまりできないことだ。亡くなるまでにそれができるようになりたい。季節の変化を身体全体で感じたい。
そんなことを思った。