曇り。
明け方はかなり涼しい。
窓を開け放して布団をかけないで寝ると風邪をひきそう。
新しいゲームをやっている。
タイトルは「マーサ・イズ・デッド」、イタリアで作られたホラーゲームだ。
ホラーゲームばかりやっている。好みが変わったようだ。というか何故かホラーゲームをやる必要がある気がする。自分自身のひどい経験の整理のためか。
海外のゲームはグロテスクな表現(ゴア表現)がかなりきつめだ。飯がまずくなるレベル。
このゲームもかなりのレベルでグロ注意だ。しっかりと無規制と書いてある。海外と同じ仕様ということか。メンタルの弱い人はタイトルで検索しないほうがいいレベル。
日本のゲームはエロに寛容で、グロには厳しい。海外はその逆の傾向があるよう。心のあり方に違いがあるのか。
舞台は第二次世界大戦末期のイタリアの田舎。マーサという名の女性の遺体が湖で発見される。彼女がそうなった理由を探るのがゲームの目的。
プレイを開始してすぐに感じたのは、日本(のゲーム)との違いだ。
イタリアの片田舎の雰囲気。環境にも人間にも”乾いた暗さや孤独”がある。それがまず怖い。
夏のイタリアの明るい光。なのにそれがものすごい闇を感じさせる。
何も知らない場所に一人で放り出されたよう。私はここでは生きていけないな、と直感的に感じた。
それで、日本(のゲーム)には濃厚な説明と人間のつながりがあったのだ、と思う。
(さらに、日本人がつながっているのは人間だけではなかった。死者や森、山や海などともつながっている。こんなこと考えたこともなかった)
ゲーム内の戦時中という時代背景もあるのかもしれない。近所の森で戦闘があり村の若者が死ぬ。主人公も撃たれる。(主人公の女性の父親はドイツ軍の将軍だ)、村人も戦闘に関与している。
ドイツ軍・連合軍・それぞれに協力する地元の組織などが複雑に入り乱れている。
こんなもん、今の日本とかけ離れすぎていて、説明なんてできない。
そうか、自分のいる環境とかけ離れたことは説明できない。そして、説明できないことには対処することができない。
そういうことだった。だから私は自分の経験したことをなんとか説明しようとしているのか。
環境は言葉だけでなく、身体で感じるもの。体感や実感、感情が動かないと納得のいく、説得力のある説明はできない。
ゲームはその感情をくれる。リアルなのである程度の体感まである。
だからダメージも受けてしまうのでやり過ぎに注意だ。
これまで、いくら説明しても、全くわかってくれないということが人生の中で多々あった。その理由がややわかった。
相手にその経験がないため体感がない。それに言う側にも説得力や共感を産み出す力が欠けている。
それに”わかって”しまうとダメージを受けてしまう。”共感ダメージ”か。だから相手の言うことをあまり真面目に聞きたくないのか。
話す側にも工夫が必要。工夫しないと話す側もダメージを受けるし。ちゃんと枠組みを作らないと両方ダメージを受ける。
工夫しながら伝えたいことが伝わるようにする。これはかなり困難なことだ。ひどい経験であればなおさらだった。
そうか、自分はかなり困難なことをしようとしているのだ。
大幅に脱線してしまったけれども、そんなことを思った。
まだ途中までしかプレイしていない。この先もイタリアで起きた(フィクションだけど)完全な他人事として、プレイする。
私には全く関係ないけれど、なぜか役に立った。その不思議。