曇りのち雨。
夜中に寒さで目が覚めた。
買い出しに行く。
家族に頼まれたものを買いに駅ビルに寄る。
ここの駅ビルはすごい。家電量販店・ホームセンター・アウトドアショップ・スーパー・フードコートと何でもそろっている。
どこの駅ビルもどれか一つくらいは欠けているものだがここにはすべてある。ないのは書店くらいか。
ここ一か所で買い物を済ませてしまいたい誘惑にかられる。いや、便利でいいんだけれど、あらかじめ買い物のコースを頭の中で作っているのでそれを変更したくないという気持ちがある。
調理器具を見る。一通りなんでもある。最近のホームセンターのブランドあるあるなのか、器具の色が白・茶色・灰色ばかりだ。
自分は鬱屈とした性格なので、地味な色のものよりかはっきりとした明るい色のものが欲しい。理由は気分が和んで助かるから。なのでここでは買わない。何故かホッとする。いったい何と争っているのか。
買い物を終えて歩く。今日は冬らしい天気だ。独特の静けさがある。
歩きながら頭の中を整理する。最近読んだ本(*)で気になったこと。まだ途中だけど。
*:「潜伏キリシタンは何を信じていたのか」(宮崎賢太郎著 角川学芸出版 電子書籍版)
いわゆる”隠れキリシタン”と呼ばれる人たちはキリスト教を理解していたというよりは、領主が改宗したために訳もわからず改宗させられた人たちが多かったそうだ。
そして領主も信仰のためというよりはそのほうが自分の利益になりそうだったので改宗した、という。
そのためキリスト教そのものへの理解は進まなかったという。
(宣教師のほうもまず支配者層を改宗して、そこから領民へというトップダウン型に信者を獲得していく方針だった)
ヨーロッパ人宣教師が日本にいても、実際に日本人にキリスト教を説いたのは日本人の同宿であった。そしてその同宿たちは、キリスト教のメッセージを伝える十分な知識を有し、聖職者としての資質をそなえてはいなかったのである。
ヴァリニャーノの一五八〇年の手紙によれば「彼らが心得ていたのはカテキズモ(キリスト教の基本的な教え)だけで、それを暗唱し、オウムのように話すだけであり」、修道院での生活の経験もなければ、書籍に親しんだり、他の教育も受けていなかったのである(東馬場郁生『きりしたん史再考ー信仰受容の宗教学ー』グローカル新書、二〇〇六年)。
キリシタン布教の初期、まだ宣教師がいたキリシタン時代においてすら、一般民衆に対するキリスト教の教理教育は、このように極めて浅いレベルのものが不徹底な形で行われていただけであった。受洗したおおくの人びとが心から回心して、敬虔なキリシタンとなったというイメージを抱いている現代人が多いが、それは作りあげられた幻想にすぎないことをくり返しになるがここでしっかりと理解したい。
(55ページ)
ただ理解していなくても何かを必死で守り通そうとしたことは事実らしい。
そこに自分は何か恐ろしく悲しいものを見た気がする。信仰を守り通して素晴らしい、というよりは自分ではどうすることもできない訳のわからないものを押し付けられて、それに翻弄された人間の悲しさ。訳のわからないもののために抵抗して命まで落とす人間の恐ろしさ。
信仰には何かとてつもない”やばい”ものがあるようだ。
もちろんすべてのキリシタンがそうだったわけではないと思う(本の中でもそういう風に書いている)。
だけども、自分はこれまでさんざん書いてきた自分の家庭内の問題を何とか解決しないといけない。そのための題材としてみる。
自分でも訳のわからないことをオウムのようにくりかえす。これは母の入信していた団体の信者もそうだった。彼ら独特のものかと思ったがそうではなかった。だとすればもっと普遍的な何かなのか。
そして破壊的な行動に出る。キリシタンのために改宗しない坊主を追放し神社仏閣を破壊する(これは知らなかった)。
母の団体もニコニコしていたおじさんおばさんが突然豹変したりする。暴力も振るう。これも普遍的だった?
となると、信仰を守って素晴らしいとか呑気に言っているわけにはいかない。(無意識のうちに彼らのプロパガンダを真に受けていたのだろうか?)
一部の信者ではなくかなりの数の人間に存在する普遍的な問題。人間の心の中にある恐ろしい何か。もしかして隠れキリシタンの話も素晴らしいものというよりは、相当悲しい話なのではないか。
”唯一”とか”絶対”とか”真理”とかそういうものは(一部の人にとって)猛毒なのかもしれないな。
一部にやばい奴らがいる、とかいうレベルの問題じゃないのかも。とは言ってもよくわからない。話がデカすぎる。
とりあえずは、また少し整理ができた。そういうことにしておく。
まだまだ道半ばだ。
さて、頭の中もある程度整理できた。寒いしだいぶん疲れたのでさっさと帰る。