雨。意外と暖か。
季節が進んでいる。
夢を見た
(その1)郊外のレストランにいる。両親と一緒。
自分は一人で歩いて帰る。母もついてくる。
コンビニで飲み物を買う。
母はしゃべり通しだ。うっとうしいので、一人で帰る、と言うと母はぶちギレた。
住宅街を抜ける。うちはもうすぐだ。(終わり)
(その2)マンションの一室にいる。他にもたくさん人がいる。
外に出て歩く。海沿いの崖を上る。
犬を散歩させている人がいる。犬と遊ぶ。
たくさん歩いてから帰る。マンションの入り口にソファがあったので廊下にどかす。住人と目が合う。
自室に戻る。相変わらず人がたくさんいる。「犬と別れて寂しい」と一人の女性に言う。(終わり)
思ったこと
目が覚める。ペットか。まわりに面倒くさい人間がたくさんいるので、とてもじゃないがペットを飼う余裕なんてない。
子どもの頃、飼っていたリスが死んで寝込んだことを思い出した。やっぱり無理だな。
また考える。トラウマのフラッシュバックについて。
トラウマというのは、頭の記憶だけでなく、感情や身体にも記憶されるという。
身体と感情の記憶は心拍数の変動や、恐怖心などまさに”今ここ”のこととして思い出されてしまう。再現されてしまう。
頭の記憶のように過去のこととして思い出すわけではない。それで混乱する。ダメージを受ける。
そこまではわかった。でもそれってどういうことだろう。
突然つらい感覚が来る。驚いて原因を探ろうとしても出てこない。というか無意味だ。何故なら原因はずっと過去のトラウマとなった出来事にあるからだ。
原因でなく、フラッシュバックのトリガーになるもの自体は存在する。私の場合は重いものを運ぶ・疲れ・満員の電車、などだ。それに気づいて避けることはできるが、根本的な問題解決にはならない。
そこに気づくようになるには、そのつらい感覚に巻き込まれたり、理由を探すことなく、ただ気づく・眺めることらしい。
最近やっとそれが少しできるようになった。そこまで来るのにどれだけ時間がかかったことか。
学校のテスト勉強みたいにはいかない。身体で会得・感得しなければならない。それは独特な何かだった。
とても手間暇がかかる。そして余裕がたくさん必要だ。忙しくしていたら絶対に不可能。ながらでできるものではなかった。
それがわかってよかった。余裕があってよかった。あやうく空っぽのまま歳を取って亡くなるところだった。
理屈を理解するのとは別の何かがある。そういうことらしい。そしてそれが可能になるには、もののわかった他者が必要。
そんなことを思った。
最近のニュースを観て感じたこと:
制度を自分の損得だけに利用する人間。
まさかはじめから登院しない前提の国会議員が出てくるとは思わなかった。
選挙や議会の制度は、そういう人間が出てくることを想定して作られてはいないだろう。詳しくはわからないけれど。
制度の外側にいるのに対価や権利だけは要求する。
帰国したら逮捕されるって、一見まともな理由に見えるけれども、よく考えたら法の裁きを受ける気がないだけだ。
日本は人権侵害上等の独裁国家ではない(はず)。だからそういうものから身を守るという理屈は使えない。それに今回は逮捕される真っ当な理由がある。
一見まともに見える理屈をそうでないものに適用する。隠れ蓑にする。
こういう人間が出てくるようになったら、もう一度何のために制度があるのかを、一から考え直さないといけないのではないか。