夜中暑くて眠れず。
氷枕を出す。
かなり快適。
まだ暑さが増すのか。
また考える。例の事件。
あれだけトラブルが起きているのに、何故対処できないのだろう。
あれは布教とかではなく、戦争なのでは、と唐突に思う。
戦争では人を殺してもよほどのことがない限り罪には問われない。
そういうレベルの話なのではないか。訓練をして理論武装をして、他人に迷惑をかけてもなんとも思わない人間を作り出しているようにみえる。
まるで、兵隊の訓練だ。「フルメタルジャケット」という映画のよう。
戦争であれば、警察などの法執行官の出番ではない。法で何とかしづらいのか。
戦争と違って彼らは日常生活の中に紛れ込んでいる。一見すると日常生活の理屈を使って、法律の範囲内で(その影に隠れて)活動している。だからわかりづらい。
ハンナ・アーレントも法は天使や悪魔を裁くようにはできていない、と確か言っていた。そんな感じだ。
トラブルが起きても、信仰の自由とやらを盾にして突っぱねる。
だけど、信仰の自由はどんな信仰を持っても、国家は個人の内面にまで踏み込んで制限することはない、と言っているだけで、何をしてもいい、というのは違う。
そうか、どんな個人・団体であっても、どんなことを言っている・信じているのであっても、他人に迷惑をかけた時点でアウト、ということにしないといけないのか。
そこを間違うと好き勝手する奴らが出てくる。権利にははっきりと条件がある。権利は神聖ものなのかもしれないが、ありがたがって拝むものではない。
ありがたがって拝んでしまったら、それを悪用する奴にいいようにやられる。少しカルト信者の問題に似ている。
たくさんの人間が苦労して時間をかけて制度や権利はできあがった。そのシステムを悪用する人間があらわれると、それに対処するのはとても困難だ、ということか。
その場合にはどういう筋道をたどって、その権利や考え方ができあがったのかを考えること。そうすることで何が悪いのか見えてきそうだ。
また、思い出す。別の話。
昔観た「地獄の黙示録」という映画の中で、SONY製のプレイヤーが出てきた。そのプレイヤーでワーグナーの音楽を流していたのが印象的だった。
当時は「おおっ、SONYだ」なんて無邪気に喜んでいた。
けれども今は「日本人も(後方支援として)戦争に参加しているんだぞ」というメッセージのようにも見える。大きな戦争のシステムに組み込まれてしまっている。考えすぎかもしれないが。
ずいぶん昔に観た映画なので記憶が曖昧なのだが。
そんなことを思った。