今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」(その3)
今週のお題を書いて改めて祖母のことを思い出してみた。
強烈な人で言動も激しく相手をするのに本当に苦労した。
だけど何か私に言いたいことがあったんじゃないかな、とふと思った。
この人は小さなころに父親を亡くしてかなりの苦労をしたそうだ。
そして大人になってからはまわりの面倒をよく見てかなり慕われていたらしい。
でも子供のころの自分というものがどこかに残っていたのではないか、
思い出の中の祖母を見てそう感じた。
「私の言うことを聞いてほしい、かまってほしい」という強烈な想い。
それが親切の原動力にもなり、まわりの家族に厳しく当たる原因にもなったのでは、
そう思う。今はそれをひしひしと感じる。
自分のこれまでの経験から昔のトラウマや教育のされなさなどは
大人になり時間がたてばなくなるものではなく、解消されない限り
いつまでも残るものだと思う。
本を読んでみるとどうもそれは世代を超えて継承されるらしい。
それだけ聞くとなんだかオカルトっぽいがホロコーストを生き残った家族など
トラウマになった出来事を生き抜いた人のその後を追った調査でもそれが
示されているそうだ。
自分は子供のころから原因不明の飢餓感があった。
それってこれじゃないか? そう思った。
祖母が持っていた問題を母経由で自分が引き継いだ、
そういうことではないか?
トラウマってちゃんと言葉にできるとかなり解消されるらしい。
かなり雑な説明だが祖母と自分の関わりを手掛かりにすれば
解消できるのではないか?
少なくとも訳のわからないものになにがしかの形を与えることができる。
祖母がまわりに親切にしていたのも自分がしてほしいことを
無意識にまわりにしていたのかもしれない。
(ただ何でも自分の利益のために、みたいな説明は下品なのでしたくない。
親切は親切だ)
また脱線気味だがおかげで祖母と自分のつながりをかなり感じることが
できた。祖母よ、あなたのトラブルは私のトラブルだった。