曇りがち。
相変わらず変な天気だ。
梅雨明けとはなにか。
夢を見た
夜中。母方の祖父母の家に家族でいる。私は小学生くらいの年齢。
母が祖母に起こされる。父方の親戚が亡くなったらしい。
なぜか母が葬式に出かけることになり、夜中なのに出かけていく。
うちにいるのが父だけで大丈夫なのかと不安になる。
朝になる。父と姉と私は出かける。
場所は都内。満員電車に乗る。気分が悪くなる。緊張で身体中が痛い。
駅につく。駅は坂の途中にあり、ホームはたわんでいる。
自分の荷物がないことに気づき探す。
乗客の誰かが見つけて渡してくれる。
ホームに降りる。父はいつも通りぼんやりとしている。
母が帰ってくるまで無事で過ごせるだろうか。(終わり)
思ったこと
目が覚める。久しぶりにこんな夢を見た。
昔を思い出す。
これまで自分に起きたことをいくつかブログに書いた。それを読み返してみて思った。
トラブルメーカーの親と母の入信している宗教。それらに対峙するということは大変な仕事だった。
フルタイムというより文字通り命懸けだった。他のことなんてとてもできない。
楽しくないし1円にもならない。であるが来てしまった以上やるしかない。
それでもなんとかホットウォーからコールドウォーになるくらいにまでおさまってきている。
自分の過去に対して、自分は何もしていない・何もできなかった、という思いがあったが、そうではなくて、とんでもない努力をしていた。いや、努力というかジタバタもがいていた。
自分でなんとかできる範囲を完全に超えた出来事だ。だから努力というのはおかしい。
何だかわからないけれど生き残れた。穏やかになった。
本当に個人的なことなので、それが何かにつながらない。
皆でやっていること、皆に起きた戦争だったら、共通のこととして受け入れられるのだが。
局所的で自分の意志?でやったこと。意志じゃないけれど。溺れないように必死だっただけだ。
「恥ずかしながら戻ってまいりました」ということはできない。
もうお前の国はないぞ。しかもそれはお前だけだ。
そんなことを言っても、お前には家族がいて、洗濯したり買い物行ったりして、ちゃんと生活しているじゃないか。
そう言うこともできるけれど。そういうことでもないようだ。そのあたりがトラウマの治療と関係があるような気がする。
これまでの治療のことを思い返してみる。
デイケアでは作業訓練をして世の中に出ていけるようにすることに重きを置かれていた。
それは大事だけれども、それは治療ではなかった。根本的な部分のケアがなかったら、社会に出ることができてもいつか行き詰まる。自分はそうだった。
だったらそのトラウマ部分のケアができればそれでうまくいくのか?
そんなことでもなかった。良いセラピストを見つけてセラピーを受けた。結果だいぶん楽になったが、それだけで終わることはなかった。
自分に起こった出来事を、自分の言葉で理解して、まとめる必要があった。そのために世の中のアイデアから使えそうなものを探してくる。
何故かこの作業をすることに対して、自分やまわりからかなりの抵抗があった。
そんなことをして何になるのか?的な。
そのあとのことはどうなるのかわからない。未知の領域だ。今はやっとここまでこれた。それだけだ。
そんなことを思った。