晴れ。寒い。湿度が高め。
物干しざおにぶら下がっている洗濯ばさみが北に移動している。
南風が吹いたのか。
思ったこと(というか妄想)
昨日の記事の(というか妄想の)続きでしつけのことを考える。一昔前の”大人の言うことは信じるな”、的な運動って大人だけでなく大人が持っていた価値観・倫理観もぶち壊してしまったのかもしれない。
そして”ありのままでいい”、というアイデア。ますますしつけがしづらい。潮目が変わってきたのか。
その割にはセミナーなどの新しいしつけが大流行している。子育てを外注している?誰かの理屈に沿って子育て。合理的な説明よりも人間として筋が通っていることが大事なのでは、と無責任に心配する。
情報が多すぎて混乱している。あれこれ口出す人間が多すぎ。しつけはある程度同じルール(というか人)によって集中して行わないと効果がない。多少不完全でもそのほうがあとで修正しやすい。あっちで新しい意見がある。あっちのほうが良さそうだ、とフラフラしてしまっては効果が出ない。自分もメンタルの問題を何とかしようとして、このことに気づかずに右往左往した。
そして気づいた。人からものを学ぶときには一対一でないとダメだ。相手の在り方をコピーするというのではないけど。学ぶ側も教える側も大量の時間・余裕がいる。忙しかったら難しい。
なんて偉そうなことを言っているけど何かをなしたわけではまったくない。むしろまわりから遅れている・外れているおかげで遠目からモノがよく見えている。傍目八目というか無責任でもある。
なに理屈こねくり回してんだよ、おれ。・・・だから、上がしっかりして、ちゃんと大人になってくれないと次の世代の後から来た人間がつらいことになるんじゃ、と家庭の中が滅茶苦茶だった私は思う。もういい歳なのに精神的にはまだ子供だ。
ああそういうことか。2日間かけた愚痴。妄想じゃなくて愚痴だった。思いの丈をぶちまけてスッキリした。年末だし心の大掃除。
親に育ててもらってなに文句言ってんだよ、という言い方もある。昔は自分もやや後ろめたい気分があった。だけど子供であってもそこにいたなら当事者だ。責任のある意見を言うことができる。恩とかそういう次元の話ではなく、本人がよく生きるためでもあるし、次の世代につなげるため、でもある。(ということにしておく)
あと不満があるから考える。考えるモチベーションになっている、というのもある