korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

目的がなかったら対処のしようがない

 曇り。ニュースによると黄砂が飛んでいるらしい。

 

 ということは、花粉もすぐだ。

 

 また窓を開けられずに洗濯物を室内干しするシーズンの始まりか。

 

 杉林の隣に巨大な掃除機か空気清浄機でも置いてくれ。

 

 

        思ったこと

 時々ニュースで見るけれどSNSは罵詈雑言の嵐だ。なぜなんだろう。

 

 昔はもう少し考えて?悪口を言っていたような気がする。考えて、というかもう少しちゃんとした(素朴なものだが)目的や動機、言う対象があったと思う。”ムカつく”だって自分の近くにいるムカついた相手のみに言っていたはず。目についた人間すべてに向かって見境なく垂れ流すことはない。

 

 それに相手に悪口を言ったらそれ相応の反応が返ってくることを覚悟しないといけない。結構な痛みを伴う。そうかSNSではその危険がないのか。だから言いたい放題ができる。身体がない。

 

 リスクがなくなると考えなくなる。ハードルが下がる。大した目的もなく悪口を言える。ひどいことだが悪口の具体的な理由もないので対処できない。具体的な目的があれば目的が達成されればやめるのだがそれがなかったらやめるのは難しい。

 

 会ったこともなく利害すら絡まりあっていない者同士の喧嘩。新しすぎる。目的のない純粋な悪口。それは強力な呪いになりそうだ。新しい問題には新しい対処が必要か。でも、どうやって?

 

 だからスルーのスキルが必要になるのか。でもそれは感じていることを無視することでもあるのでとても危険だ。自分の警報装置を切ることでもあるし、痛みを感じなくなるので他人に平気でひどいことができる。負のスパイラルだ。

 

 大人は何をやっているんだ。という声も上がりそうなものだが、考えてみると私が子供のころにはすでにまわりの大人はボロボロだった。トラブルに対応したり変化についていくので必死だった。大人はそれどころじゃない。

 

 大人に助けてもらうというよりは助け合って何とか生きていくしかない状況。年齢に関係なく得意な分野があればそれでまわりを助ける。聞こえはいいがまるで児童搾取だ。

 

 

 本当にこの環境で大人になることは可能なのか?

 : 今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

 

 

 自分のまわりの問題について考えた、個人的な意見というか妄想。