晴れ。いい天気だ。
もう蚊が出た。早すぎないか?
そういえば夏は暑すぎてかえって蚊は出ないのだった。
環境に適応したのか。
夢を見た
学校にいる。授業前だ。トイレに行く。便座かと思ったら洗面台だった。あわてる。
廊下を歩く。暗い部屋があったのでのぞく。立派なフライトシミュレーターが置いてあるのが見える。喜んで遊ぼうと思ったが先生と生徒が入ってきたのでやめる。
教室に帰る。席には別の人が座っていたので廊下際のカウンターに移る。こっちのほうが楽だ。
寒いのでレインウェアの下をはく。授業が始まる。また数学。自習だ。さっぱりわからない。隣の生徒はサクサクと解いている。
テキストをよくみると音符が並んでいる。数学ではなく音楽か。記号の使い方を問われている。公式みたいで数学に近い。
他には絵の描いてあるページもあり、もはや何の科目なのかわからない。
授業が終わる。先生が入ってくる。お前らただ座っていて授業が終わったら立ち上がるだけで精一杯じゃないか、と言われる。気分が悪くなる。(終わり)
思ったこと
目が覚める。まだ真っ暗だ。疲れを感じる。気持ちが沈んでいる。
算数もできない学士様とか、シャレにならない。だけど書いていて別にそういうデコボコな?学力の人がいてもいいのでは、と思った。・・・数学の必要な分野でなければな。余計へこんだ。
布団の中でいろいろと考える。自分の学生時代はボロボロだった。どうしてどこかでセーフティーネット?みたいなものに引っかからなかったのだろう。
思い出してみる。まわりの大人は忙しすぎた。必死だったし。とてもじゃないが何か言えるような感じではなかった。
それに自分はうわべを取り繕うのがうまかった。最近まで自分でも気づかなかった。それぐらい自然にやっていた。必要だったからそうなったというのもあるけれど。それでまわりが気づかなかったのだろう。結果問題がこじれた。
「戦争とトラウマ」読了する。国家にご奉公できないのは恥だ、という思いが全国民に共有されていたので病気になった兵士は罪悪感を感じた。精神的な病気の場合にはさらにそれがひどく、皆隠したし軍のほうもそれを怠けているといって病気とは認めたがらなかった。(恩給の問題も絡んできてさらにややこしくなった)
なんかこれってさっきの問題と関係があるような気がする。怠けに対する病的な罪悪感。職務に対する責任感が強すぎてつぶれてしまう、というのは日本人特有のものらしい。
仕事で負傷したのだから堂々と休めよ、ってことか。それを皆が認めたがらない構造。
日本人は勤勉だというけれど、元々はものすごくのびのびとしていておおらかだったのではないのか、と最近思うようになった。
南の島の人々のようなおおらかさ。ヤポネシアということを言ったのは島尾敏雄さんだったか。
勤勉だったかもしれないが、それは現代みたいにカチカチに枠にはめられて他人の都合で動くのではなく、あくまでも自分のペースでできるような状況で、ということなのではないだろうか。サラリーマンではなく、職人的な勤勉さか?
近代的な軍隊のような組織で働くには素朴でナイーブすぎるのかもしれない。そういう環境にいるだけでストレスだし、元々そういうものには縁がないから力加減がわからず無理をする。自分たちのアイデアでもスタイルでもないし。そういうことかな。
素朴でナイーブな人間に罰則やら何やらで身体に合わない西洋的な勤勉を叩き込んだ。それで皆変になった。そういうことだろうか。
などなど考えてみる。もちろんこれはただの理屈というか妄想だ。
こういう社会に比べたら宗教のほうがまともに見えてしまうということもあるのかもしれない。でも宗教のほうもかなりの地獄だった。居場所がないな。そんな簡単な問題じゃない。
本は他人の都合だし、理屈はあくまでも理屈だ。あまり問題を細切れにしていじりまわすとかえって訳が分からなくなるし。
疲れたから少し休もう。
(昔のサラリーマンがオフィスを抜け出して煙草をプカ~ってやっていたのって日本人的な働き方(サボり方)のスタイルに合っていたのかもしれないな、と思う。煙草がいいとかいう話ではなくてリズムというか自分のペースというかそんなやつ)