晴れ。
朝新聞を読もうと思ったらすさまじい勢いでくしゃみが出た。
ついに花粉が来た。そうだ、新聞には気を付けなければいけなかった。
毎年こんな感じだな。アレルギーの薬を飲む。
思ったこと
昨日の続き。
情報の取り扱い。現実世界と情報の区別はどうすればいいんだ。
おいしいパン屋さんがありますよ、という情報だったら実際に行って食べてみる。そこではじめて情報の伝達が完了するのではないだろうか。
抽象的な情報の世界から具体的な行為・効果があってはじめてそこで完了する。それがなければ意味というか力がない。最初から情報を娯楽として観ているのだったら、そうなんだ面白い、でいいのかもしれないけれども。
で、なんでこんなことを考えているんだ? 昔のことを思い出しているんだ。
情報をそのまま信じるなというよりもなぜ信じてしまったのか、ということ。
ニュースによれば選挙に不正があったと信じている人たちがたくさんいるという。そのことと関係がありそうだ。はじめに一部の人たちが言っていたことが瞬く間にネットメディアで広まってしまった。(のではないか、ということだけれど)
数の力なのか。だってみんな言ってるじゃん。ということか。情報をある一定以上の人が言い出すとその時点で考えもせずに鵜呑みにするようになる。
あとは立派な額縁だな。きれいな本とか権威とかそういうものだ。スマホなどの情報を得る機器自体もとても高価で立派だ。SNSのサービスも金がかかっていて立派。なかにたいしてコストをかけずに適当に発信している人がいるとしても情報の確かさの区別はつかない。それで信じてしまう。
それがもともと人間が持っていた不安・不満と結びついてしまった。地に足がついていない不確かな情報は恐ろしく・そして強い。誰も批判ができない。
情報の内容ではなかったのか。だって一個人には確認のしようがないし。マスメディアってそれだけでものすごい力だったんだな。
昔信者の人たちが家にやってきて、たくさんの人が信じている・立派な権威がついている、などと言っても、それはこの情報の在り方を利用しているだけだった。内容がどうこうとは関係がなかった。だから強いともいえる。
それ以前に他人のテリトリーに侵入してきてあれをしろ・これをやれ、と言うだけで相当な暴力だった。そこに気づかなかった。
だけどその時は子供なりに、じゃあ酒は世界中で広まっているからって酒を拝むのかよ、と思っていた。こういうこと言うから嫌われたのか。酒は飲むだけだ。実用的。これも地に足がついている。自分の行為と結びついている。
情報の内容と伝達手段は別物だという風に考えないと間違ってしまう。そしてそれは自分に関係があるのか、それで自分は幸せになるのか、というのも大事だ。
だけどさ、道具自体は良くも悪くもない、使う人間しだいだ。という人がいるが本当にそうなのだろうか。人間が環境から独立して存在ができるみたいな考え方で大丈夫なのか。巻き込まれたらそんなふうにはいかない。相手が多人数の大人だったり、メディアみたいな馬鹿でかい道具だったらなおさらだ。
だからそれが事実だ・それができるということではなくて、そういう姿勢・態度をとろうということだ。
ネチネチとこんなことを書いて、本当に悔しかったんだな。これじゃ「負け犬」ではないか。がっかりだよ。がっかりというかグッタリ。でもどういうことがあったのか明らかにしておかないとここから動けない。
今週のお題「鬼」
ネット回線を通じて「鬼」が広がる、その対処の仕方? サイバーパンクか。
また無理やりだよ。